読後感


9月号特集「全身の健康を見据えた歯周治療を考える」を読んで
 (『日本歯科評論(Dental Review)』10月号に掲載された内容を転載したものです.)


いけだまさひこ
池田雅彦


 この特集は,松岡氏ら5人が歯周治療に対する考え方や実際についていろいろな観点から述べられているが,その根底にあるものは,生体にそなわっている自然治癒能力を賦活化し,歯周治療にその治癒力を活用していることであると理解した.
 自然治癒能力の賦活化は,心(気持ちの持ち方)とオーラルフィジオセラピーに本質があるとし,患者と共に「病」に立ち向かうことによって成し遂げられる.この考え方は,戦前から片山恒夫先生が一貫して主張し実践されてきたことであるが,この特集を読み,片山先生の精神が着実に日本の歯科医療の中に根付き,実践されていることを嬉しく思った.
 片山先生からは,私がまだ学生であった1967年頃から数回,大学の特別講義で講義を受け長期の症例を見せていただく機会があった.また,開業1年目の1977年には,豊中の診療所を尋ねて私のつたない症例を1日中ご覧いただき,批判していただいた.これらの体験や執筆された論文を繰り返し読み込む中で,私も著者らと同じように,片山先生から大きな刺激と歯科医としての根本的なことを学んだ.
 最近の各種歯科商業誌や講演会をみると,いかに西欧主義的な治療法や考え方に傾き過ぎているかがわかる.西欧主義的な考え方や治療法はある側面では有用ではあるけれど,限界があることがさまざまな著書などで示されてきている.たとえば,『こころと治癒力』(ビル・モイヤーズ著,小野善邦訳,草思社,1994年)という本の中で,米国の第一線の医学研究者らがライフスタイルの変更,瞑想,気功,自己催眠,ストレスマネージングなどの方法で人の治癒力を引き出す試みを行っていることが紹介されている.わが国においても最近では,がん治療の現場では,各種の免疫療法が試みられ成果をあげているし,元来は外科医である埼玉県の帯津良一先生は,生体の治癒能力を高める東洋医学的な治療法を積極的に取り入れておられる.
 このように生体の治癒能力を高める治療法が着実に日本だけではなく欧米においても広まりつつあるが,主流になっているとはいいがたい.片山恒夫先生が孤軍奮闘してこられた時代ではなく,現在,今回特集で示されているように少数であっても,日本では生体の治癒能力を高める治療法を実践している歯科医がおられることは心強く,世界に誇れる成果であると思う.
 いま,社会の将来を見据えて健康のセルフ・ケアが提唱されつつあるが,今後,生体の治癒能力を高める治療法も臨床現場に取り入れる必要がある.片山先生の行われてきた方法も治療法の選択肢の1つとしてさらに深化・発展させ,西欧主義的な考え方や治療法の利点と融合させる努力が必要であると思われる.
 しかし,藤巻氏が論文中に書いておられるように,氏の所属する研究会でも今回の特集で示された治療法への賛同者は1/4しかなく,さらに5氏の論文中に患者そのものが見えないのも気になるところである.私たちにとって大切なことは歯周病を治すことではなく,歯周病という病を持った人間と正対しているという認識を常に持ち続けることであると思われる.5氏の主張が同一で何か教条的な感がすることも気になった.
 かつて片山セミナーが毎回盛況で,何度も参加する歯科医も多かったと聞いているが,それほど人を惹きつけたのは,片山先生がある「深さ」に到達されていたからではないかと推察する.片山先生の豊かな業績を「形」としてではなくその精神を受け継ぎ,その成果が世界に広まることを願って筆を擱く.




読後感


連載論文「欠損はいかに埋められるべきか」を読んで
 (『日本歯科評論(Dental Review)』10月号に掲載された内容を転載したものです.)


かわもとよしかず
川本善和


 「欠損部はいかに埋められるべきか?」この問いに恥ずかしながら私は,まさに「どのようなもので補綴すべきであるか」と考えていた.ともすると臨床医(特に若い先生)では,欠損部と補綴部位という局所に囚われがちなのではないであろうか?
 ここで提示されたような症例は,日常臨床において直面することが少なくないと思われる.臨床医にとってこれらの提示された事柄は,指摘されれば心当たりのあることが多いのではないか? 阿部先生は欠損が生じてからの経過や放置された症例の,長年にわたる観察や経験から欠損空間を口腔粘膜が埋めることに着目し,その過程について機能面から考察し,またそのメカニズムをわかりやすく解説している.
 この発想はまさに目から鱗であり,これにはまず口腔内全体をよく観察することの重要性を示唆している.
 顎口腔機能において総義歯治療および矯正治療におけるニュートラルゾーンが重要であることは周知のことであるが,ひとたび部分的な欠損が生じ,局所的にそのバランスが崩れた場合には,対合歯の挺出および隣在歯の欠損側への傾斜が起こる.そして補いきれないその欠損空隙を埋めるため,可動粘膜のアダプテーションが起こる.このことは欠損空隙の封鎖には良いことであっても,われわれ歯科医にとってはやっかいな一面でもあるのではないか?
 歯牙の欠損によって生じた局所的な欠損スペースは,欠損部や支台歯に悪影響を及ぼす場合が多々ある.たとえば,1歯欠損の3ユニットブリッジで補綴した場合でも,衛生型ポンティックの下部や両支台歯にプラークの付着や2次カリエスの生じているケースにしばしば直面する.
 私も学生時代の授業では,ポンティックの審美性を必要としない部位は,衛生型が望ましいと教えられた覚えがある.しかし,この衛生型ポンティック下部は空隙の残存により頬粘膜と舌に挟まれたポケット状となり食物等が残留し,2次カリエスや骨吸収の一因となることが容易に推測される.したがって,この衛生型ポンティックとするためには,患者が歯間ブラシ等を使用してよく清掃することが前提となる.
 この部位は可動粘膜や舌によって常に自浄作用が働く天然歯表面とは異なると考えなければならず,その空隙を人工的に作ること自体に問題があった.近年,オベードポンティックが急速に広まっているが,これは審美的要因だけでなく,アダプテーションの防止としても有効であることがわかる.
 また,支台歯の負担を軽減する目的でオクルーザルテーブルを頬舌的に小さくすることも,口腔粘膜のアダプテーションが起こりうるスペースを生む上ではマイナスであることがわかる.このように視点を変えることで従来の補綴処置の問題点について再認識させられた.
 欠損が放置され口腔粘膜のアダプテーションが進行または完了した口腔内で,再度欠損空隙を補綴物で埋めようとしても治療が困難であるのならば,抜歯直後に積極的に欠損空隙を補綴し,粘膜のアダプテーションを防止することが必要であろう.
 今後は,模型やエックス線の診断におわらず,生きた患者の機能面や予後について,より観察眼を研ぎ澄ます必要があるのではないか?
 さっそく,本論文で阿部先生が提示された欠損部と口腔粘膜の挙動という視点を,これからの歯科治療に生かしていきたい.





読後感


8月号特集「切開と縫合の基本と臨床」を読んで
 (『日本歯科評論(Dental Review)』9月号に掲載された内容を転載したものです.)


そえじまわたる
副島 渉


 20年ほど前であるが,私は大学卒業後,国立医科大学の口腔外科に勤務していた.麻酔科での研修時,消化器外科から来た同じく研修医の先生が,「外科の中でも口腔外科の手術は一番難しい手術のひとつだよ,あんな狭くて見えないとこ,よく切って縫ってるよな.口腔外科の先生たちは上手だよなぁ」と,医局で口腔外科の手術を見て言っていたのを記憶している.私もなんとなく嬉しかったのであろう,今でも覚えているのだから.
 私は恩師から,手術の基本は明視野で行うこと.見えなければ見えるように切開を加え,剥離しなさいと教えられてきた.十分な切開と剥離を行い,手術野を明視下にして手術することが最大の基本であると思っている.言葉で表すのは簡単であるが,神経や血管の損傷も大きくなりがちで実際には難しい.
 近年,開業医でもインプラントや歯周外科など,大きな切開をすることが多くなってきている.下顎の骨膜弁の剥離で,思わず頤神経の神経の束を見つけてドキッとされた方や,下顎智歯の抜歯の際に,根尖に下顎管の骨片がついてきてひやりとされた方も多いことだろう.最後の縫合がピッタリ合わず,やり直すかどうか悩まれた方も多いことだろう.
 「ドキッ」としたり「ひやり」とすることは,重要なことであると思う.慎重に(臆病に)切開や剥離を進めていくことは,解剖学的知識に裏打ちされた行為である.「切開と縫合の解剖」を解説された小澤先生は,最後にまとめとして“「人の体はすべて違う」「常に変化する」,だから教科書に書かれていることは一例にすぎず「考える鍵」であると認識する.生体のバリエーションに対しては,「経験と勘」がそれをおぎなう.その際「人間の体は必ず修復する」と確信することである”と述べられている.まさにその通りだと思う.
 「メスの種類と使い方」では,電気メス,レーザーメスの取り扱い(レーザーメスをうまく使うコツ)にも言及されている.
 一昔前には,レーザーメスを万能の機器として吹聴する向きがあった.たとえば,舌小帯の切離で「レーザーメスだと出血もなく,疼痛も少なく簡単に切れるよ」という話を聞いたことがある.しかし私は,舌小帯の手術は,手術目的である舌の機能回復の評価が難しいために,大変困難な手術だと考えている.ただ切離すればよい,というものではないと思う.
 詳しくは今後,編集部が予定されている個別の処置における「切開と縫合」に期待したい.
 縫合は,最近では針つき糸が主流となり,長い糸に苦労されている方も多いのではないだろうか.断端が思わず不潔領域に触れてしまったりすると,日頃,消毒・清潔を強く指導している歯科衛生士にも示しがつかない.また縫合に最も多くの時間を費やしてしまうことも稀ではない.本編では,簡潔によくまとめられているので自分が確実な2,3の方法を習得する参考になると思う.
 多くの知識を仕入れるのは確かに大事ではあるが,必ずしも知識量が技術の習熟度とは一致しないことを十分に承知し,たえず基本に返り,鍛錬することが必要であると思う.
 手術を成功させるには,自分が使いやすい器具を見つけることとともに,有能な助手を育てることが重要である.その意味で,特集末の「歯科衛生士からみた切開と縫合」は参考になった.
 本特集は,基本中の基本を広くすっきりとまとめてあり,外科手技の基本として,多くの知人に紹介したいものと思う.




読後感


連載論文「ブラキシズムの治療特に自己暗示法について」を読んで
 (『日本歯科評論(Dental Review)』9月号に掲載された内容を転載したものです.)


みなぎしょうご
皆木省吾


 池田氏の“健康の維持において,ブラキシズムの健全な抑制は有用”とする論理および臨床的なスタンスに対して大いなる共感を持って読ませていただきました.これまでに氏が報告している論文についても興味深く拝見しています.
 ここで用いられているオクルーザルスプリントは,従来種々報告されているスタビライゼーションタイプのスプリントとしての作用に加えて,患者自身がブラキシズムという現象の存在を確認し,自己暗示の効果を肉眼的に認識できる利点を有していますが,患者へのフィードバックおよびモチベーションという点においてこの手法の効果が絶大であることに納得しました.
 氏の貴重な論が,真に世界の歯科臨床において受け入れられるためには,これらの観察の背景にある氏のオクルーザルスプリントによるブラキシズム評価法の妥当性について,まず確立することを避けては通れないとも考えられます.この読後感では,この点に着目してみたいと思います.
 まず,このスプリント装着によってブラキシズムの定量化が行えるというオリジナリティーと臨床的有用性について高く評価します.この方法が抱える唯一の未解決ポイントは,スプリント装着時と非装着時のブラキシズムの特性が,同一あるいは相関があるか否かの一点のみと思われます.この点は,私個人の“研究を主目的とした興味”に由来するものではなく,このエポックメイキングな臨床手法が,“臨床的な真の有用性を強示するため”に必須と考えられます.
 咬合とブラキシズムの関係について,現時点では必ずしも因果関係が肯定的に報告されているわけではありませんが,その一方でなお関連を示唆する現象を報告する研究が存在していることも事実です.このことを考慮すれば,スプリント装着による咬合や口腔環境の変化が,夜間睡眠時のブラキシズム活性に影響を及ぼしている可能性は完全には否定できないと考えられます.
 もちろん,氏のスプリント調整については十分に行われているものと理解しますが,スプリント調整手法そのものが多種存在し,また,調整結果を定量的に評価する方法が欠落している現在の歯科臨床・研究においては,残念ながらその点を完全にクリアーするには至らないように思われます.
 この現状を踏まえた上で前に進むには,“スプリント装着前の睡眠中のブラキシズム活性”と“スプリントを装着し,その後違和感が消失した後のブラキシズム活性”との間に差があるか否かが示されることが望まれます.スプリント装着前の睡眠中の咀嚼筋活動や下顎運動と,スプリント装着後のそれらとの関係が明らかになれば,このスプリントの有用性が疑いもなく明瞭に示されることになります.これはたとえば,スプリント装着前からの筋電図記録を行うこと等によっても達成され得ると考えられます.
 臨床研究の基盤をなすのは,現象の正確な観察とそれを普遍化させる論理であると思いますが,ここには大量の貴重な臨床観察に基づいた現象が報告されています.その貴重な現象の認識が,真実としての確信と裏付けをもって広く世界中の患者に臨床応用されることを真に心から期待しています.




HYORON Opinion Plaza


訪問歯科の現場から見える歯科界の現状と課題
 (『日本歯科評論(Dental Review)』9月号に掲載された内容を転載したものです.)


つのまちまさかつ
角町正勝


リハビリテーション医の指摘
 平成3年のことだったと思いますが,私を訪問診療に駆りたてる出来事がありました.それは,長崎県寝たきりゼロ戦略検討会でゴールドプランの折り返しに際して,これまでの活動評価と寝たきりゼロ戦略の地域作業の見直しを進めていた席で,長崎県寝たきりゼロ戦略検討会の座長であった浜村明徳先生(現小倉リハビリテーション病院院長)が,歯科代表であった私に「歯科には障害学がありますか」と質問され,私に回答を求められたときのことです.私は「歯がなければ食べれないでしょう.私たちは口から物を食べ,生活するのが普通ではないでしょうか」と答えましたが,障害を有する人々の生活実態を全く知らないで応じたこのときの回答が,私を訪問診療の現場に動かすきっかけを作ったのです.
 このとき浜村先生は,障害の問題について私から直接答えを得るのではなく,「私たちも手足がなくなっている患者さんに,義手や義足を入れてきました.歯科の先生方が,歯のない患者さんに入れ歯を入れているのと同じ行為をやってきたのです」と話され,この方面における歯科界の遅れを間接的に指摘されたのです.冷静に考えてみれば,歯科界が「歯を喪失した患者に入れ歯を入れる」という日常茶飯的に行ってきた医療行為は,歯科臨床が「歯」しか見てこなかったという,歯科界の大きな問題点を明確に指摘されたものだったのです.

高齢社会における歯科の位置づけ
 このとき私は,リハビリテーション科医師の浜村先生から「歯科における障害は何か?」,そして「歯科界は障害を有する人々をどう支援していこうとしているのか?」という,とてつもない命題を突きつけられたような気がしました.
 障害学がどのような学問体系になっているのか全く知らなかった私は,上田 敏先生(元東京大学医学部教授)の著書『目で見るリハビリテーション医学』を必死に読み返したことを覚えています.その結果,歯科の臨床とは,「主に健常者を対象として形態の修復を中心に行っていた臨床の体系である」という答えに行き着きました.つまり,これまでの歯科臨床は,人の健康や生活に深く踏み込み,対象者の生活の中で口の問題を整理し,その問題解決を行う臨床,というようには体系づけられていなかったことです.
 しかし,これから求められる歯科臨床は,「う蝕や歯周病」など感染症への対応は身体の障害の有無に関係なく必須行為として,歯の欠損の修復など保存・補綴に関する臨床については,身体の障害の有無やそのレベルを考慮し,身体能力が低下している人と健康な人との区別を行い,食べるという生活動作の問題などに対応する臨床として展開できなければなりません.
 そういう中で,高齢社会の到来は歯科界に対して,障害を抱える人々に対して健常者と同様な歯科サービスに加え,口の機能を支援する新たな歯科サービスの提供を否応なしに求めてきました.しかし,訪問現場においての歯科の対応は,障害を有する高齢者などの身体状況を必ずしも十分把握できていなかったことなどから,他職種に首を傾げられるような歯科サービスを行う結果になってしまったのです.まさに,「歯を見て口を見ず,口を見て人を見ず,人を見て生活を見ず」という言葉に象徴される歯科界の実態が,社会から疑問符を投げられる結果になったのではないかと考えます.
 このように,高齢社会の中での歯科の役割は,ますます重要度を増してきています.そのため歯科関係者は,これまでの歯科臨床に加えて,障害の中に身を置く人々に,生涯を通して豊かな食生活を行える生活の質を支援するためのサービス提供を行う領域に自らの仕事を広げていかねばならない,と考えます.

歯科界に求められるもの
 すでに述べたように,これからの歯科界に求められるものは,「身体能力や社会活動など人の生活の中で,口がどうあればよいか判断し,専門的な歯科サービスの提供を行う」という視点での新たな臨床体系を構築することです.
 その意味で,現在の歯科界は,口の障害を整理しそれに対応した臨床や教育,それに必要な研究面での展開ができているとは思えません.例えば,口腔解剖や口腔生理などの歯科の学問が縦割りであって,それぞれがリンクした領域がなかなか見えてこないのです.そのために,歯科の臨床において,加齢に関わる問題や脳血管障害などの後遺症により発生する「食べる,話す」という口の問題に対応する臨床の形が大きく具現化することがないのです.
 もちろん,最近は障害者歯科や高齢者歯科という領域が拓かれてきているようですが,予防学としての体系は若干見えてきても,治療学として口の機能の育成やリハビリなどの領域は,既存の領域である保存・補綴・矯正等の治療学とリンクした新しい学問領域としては整理できていません.
 言うまでもなく,口は身体の一器官です.その構造は,「口唇,舌,歯,口蓋,顎,顎関節……」などにより構成されています.また,これら口の各器官は,すべてが脳神経の指令系統の中で統合され協調運動を行い,「食べる,話す」という生活に関わる口の働きを作り出します.21世紀の高齢社会において歯科界が社会から求められていることは,より具体的に言うならば,脳血管障害などの後遺症として発現する口の障害に対して,適切に対応できる臨床体系を構築し,口の健康を守ることに加えて,「食べ物を挟めない,かめない,むせる,言葉がはっきりしない,話せない……」等々,口に問題を抱えるすべての人々に,生活に関わる口の機能の問題にまで踏み込んだ対応を行うことです.

イノベーションができるか
 訪問診療の現場では,医師・看護師・理学療法士・作業療法士などをはじめ,様々な職種の人たちが時代の変化に敏感に対応し,自らの専門領域の中で積極的に高齢者の生活支援に関わっていますが,歯科界はどうでしょうか…….大学における臨床や教育や研究現場の実態は,それぞれの分野で専門性に富んだ臨床や教育,それに必要な研究がなされているものの,時代のニーズを十分には把握できていないようです.そのため,歯科医療変革に向けた姿勢は必ずしも評価されるものではありません.
 これからの高齢社会における歯科界の命題は,「障害を有していても,生涯を通して豊かな食生活を家族や仲間と共に共有できる口の健康を支援する」ということだと考えます.これまで主に健康な人々を対象に,歯の喪失の予防などを中心に口の問題に対応してきた歯科界は,「食べることの支援」に向けてすべての人々の期待に応えられるような答えを出さねばなりません.
 いま歯科界は,歯の健康を守るという形態中心の臨床から,身体状況を考慮し「どんな食べ方をさせられるか,どこまでうまく食べさせられるか」という口腔機能の回復に向けた“形態を守る臨床”と“機能を考える臨床”をバランスよくリンクさせ,生涯を通して人々の生活の質を支援できる職種に変容していかねばならないと思います.
 社会は歯科界に対して,速やかな,そして確かな変革を求めているのです.




Random Note


横浜歯科臨床座談会・移動例会に参加して
 (『日本歯科評論(Dental Review)』9月号に掲載された内容を転載したものです.)


うさみともひと
宇佐美智史


 7月13・14日の日程で「横浜歯科臨床座談会・移動例会」(於:湘南国際村センター)が開催されました.一介の学生である私は,大学の講義を通じて丸森英史先生(横浜歯科臨床座談会代表)の存在を知り,興味を持ちました.その後,紹介により丸森歯科医院を見学する機会に恵まれ,お誘いを受けるまま非会員として今回参加させていただきましたので,率直な感想を交え報告します.

「歯肉百景」「力百景」――臨床へのフィードバック
 初日最初のテーマは「歯肉百景」でした.日々の診療で発見・疑問のあった症例を持ち寄って考察しあい,その結果を診療にフィードバックさせていこうという趣旨でディスカッションが行われました.「毛先磨き指導をとおし,患者さんが主体的にブラッシングしてくれるようになった」など,歯科衛生士さんによる診療室での感動体験も報告されました.
 パーティ(ディナー)の後,各自興味のあるテーマにわかれる分科会となりました.内容は「力百景」,TBI,食事指導,デジカメ・PC活用法など多岐にわたりましたが,私の参加した「力百景」では,歯頸部の楔状欠損の原因,歯根破折の解析を中心に議論が交わされました.
 初日の締めくくりは1日の疲れを癒すべく,各部屋で軽〜く一杯(?).
そこでも話題は,歯科医療へと尽きることはありません.保険診療と自由診療に話が及んだときに,ある先生が「保険医である私はここで最高の治療を学び,その治療を保険の範囲内で臨床に取り入れたいと思っている」とおっしゃった言葉がとても印象に残りました.

これからめざすこと
 大学では,広く国民に歯科医療を還元すべき,と教えられています.すると,保険診療が大前提となるでしょう.一方,自由診療を専門に行っている歯科医院を見学させていただいたとき,真に患者さんのためになる予防中心の歯科医療を仲立ちとして,患者さん─歯科医療従事者の間に成熟した信頼関係と満足感が垣間見え,羨ましく思ったことがあります.しかし,この満足感を享受できるのは一部の患者さん- 歯科医療従事者に限られてしまわないだろうか,と疑問が涌いてきたことも事実です.いずれにしろ,今後自分のめざす診療スタイルは,まだ具体的に見えているわけではありませんが,患者さんにとってかけがえのない存在となるような信頼関係の構築を第一に考えたいと思います.
 さて,翌2日目のテーマは「これからめざすこと」でした.各個人が今回の移動例会で得たこと,これからめざすことについてじっくりと意見交換がなされ,幕を閉じました.
 ときに,白熱した議論の末に意見が対立するシーンもみられた本会でしたが,すべての参加者の熱い信念を支えているものは1つ,“患者さんのために”歯科医療に真摯に取り組もう,という姿勢であることも心に残りました.私は以前,会社勤めをしていたとき,各部署が自らの利益を最優先するあまり,会社全体としては協力関係が築けないという経験をしました.それに比し,移動例会に参加されていた各歯科医院においては,全員一丸となって患者さんの口腔をケアしようという志が確立できているように感じられました.ただ1つ残念に感じたのは,発言が一部の人に限られていたことです.もっとも全く発言できなかった自分としては,知識と経験が不足していると反省させられ,意欲をかき立てられる良い機会にもなりました.
 今回の移動例会を通じて,これから目標にしていきたい方が何名も見つかり,とても刺激的な2日間でした.行く行くは逆に周りに刺激を与え,人の心を動かせるような歯科医師になれるよう日々自己研鑽に励むべく,心を新たにいたしました.