社会保障制度改革をめぐる「あるべき医療の姿」とは(日歯)

 

翌日未明,トルコのイスタンブールにおいて開かれたFDIに向けて出発した大久保会長は,現地で日本の高齢社会の現状と,歯科医療を通じてどのように乗り切るかというテーマで講演を行った.また,講演では2015年3月に東京国際フォーラムで開催される,同テーマの世界会議の告知も併せて発信したようである.

 日本歯科医師会(大久保満男会長)は8月22日,東京・市ヶ谷の歯科医師会館において定例の記者会見を行った.会見では主に,8月6日付で社会保障制度改革国民会議がまとめた最終報告書について,日歯の見解が示された.


社会保障制度改革国民会議報告書への見解

1)総論的見解
 日歯は歯科医師という“民”の集団でありながら,歯科医療と歯科保健を通じて“公”の責務を果たすため,国民の健康を「生活の質」という視点に立って守るビジョンを掲げている.しかし,同報告書では,国の「あるべき医療の姿」が鮮明に表現されていないような印象を受ける.厳しい財政状況は十分承知のうえだが,だからこそ国民会議という絶好の機会に未来の姿を描くべきではなかったか.
 また,地域の共同体は今や崩壊の危機にあり,社会基盤や精神の連帯がきわめて脆くなっている.日歯も「地域完結型」や「治し支える医療」を目指して取り組んでいるが,この現状下で地域完結型医療をどう遂行させていくのか,国民会議で共有し,議論を図るべきであったと考える.
 さらに,同報告書内では「我が国の医療機関の努力や国民皆保険などにより,日本の医療は世界に高く評価されるコストパフォーマンスを達成してきた」との記載があるにもかかわらず,医療費の増大によって多額の公的債務があるかのような論理の展開がなされており,これは医療提供者として受け入れがたいものがある.

2)「国」と「国民」の責務
 日歯は,以前より社会保障制度改革推進法における「自助・共助・公助」の言葉の序列に違和感を主張してきた.わが国の医療において公的な責務がきわめて重く大きいことは明白な事実であるため,推進法では国家の責任を“国は何があっても国民の生命や健康や財産を守る”とし,「公助・共助・自助」の序列で述べるべきであったと考える.「自助」はおそらく財源論から派生した言葉であろうが,現在の危機的状況は財源に限らず,国の「あるべき姿」そのものにある.国と国民がそれぞれの立場を自覚し,議論を深めていくことを願って今後も主張を続けていきたい.

3)負担の応分と限界について
 日歯は,従来より公的医療保険における自己負担三割はすでに限界を超えていると主張してきた.今後もその主張に変わりはないが,仮に百歩譲って三割負担を限界と認めるとしても,さらに高齢者(70歳〜74歳)の一割負担を二割に戻すとなれば,自己負担の財源はもはや文字どおり限界であり,さらなる引き上げはおよそ“公的保険”と呼べるものではない.ここは「公助」の強化に焦点を当て,議論をより活性化させるべきであったと思う.

4)歯科医療から見た高齢社会における医療のあり方
 日歯の政策である「生活の質を守る歯科医療」とは,最期まで自らの口で食べられる生活を目指すことである.しかし,“食べられなくなる”原因となる口腔内の疾病には,自然治癒がほぼ期待できない.したがって,わが国の健康寿命が男女平均して約72歳で尽きることや,20本の歯をもつ高齢者が69歳までであることなどが明白になった今,高齢者の窓口負担増がいわゆる受診控えを引き起こし,疾病の悪化や短期間で“食べられなくなった”結果,要介護者のQOLを著しく低下させかねない.高齢社会での“生きがい”の実現が,今後の最も重要な課題の1つである.

5)後代への先送り論について
 公共事業や社会保障の財源のために「公的債務」が増加することを,後の世代に負担を先送りするとの論理で反対する意見が根強い.もちろん過度の負債として負担を後世代に課すことは避けるべきだが,現行制度を確実に構築すれば,結果として負担の一部が後の世代に送られたとしても,それはよりよい制度を贈与したことになるのではないか.先送り論に終始するのではなく,まずはシステムの構築やそれに対する国民の理解が受け継がれるような,よき伝統となる社会を確立すべきである.

(2013.09.06)

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