*3 私が要介護高齢者を診るようになったのが,平成の初め頃である.当時は,歯科における高齢者診療は義歯が中心で,高齢者歯科学という講座を設置している歯学部もほとんどなかった.先進的な開業医は訪問歯科診療に取り組んではいたものの,十■な症例報告や研究に基づいたエビデンスがあるわけでもなく,診療にあたっている歯科医師は手探りで行っているのが実情であった.当然のごとく,大学教育の中で要介護高齢者の口腔がどのような状態になるかという授業もなく,研修する場もないために,私も手探りで診療にあたっていた. なかでも困ったのが,要介護高齢者に特徴的にみられる口腔・粘膜疾患への対応であった.処置・投薬する必要があるのか,経過観察しているだけでもいいのか,大学病院などへの受診を促さなくてはならないのか,症例を前に右往左往するばかりであった.当然のごとく失敗することもあり,医師や看護師の信頼を失ってしまうこともあった. 大学にいる先■に聞いても,当時は要介護高齢者が歯科大学へ受診することなどなく,だれも最善策を提示できる者がいなかった.同じように要介護高齢者を中心に診察している歯科医師の中には,閉塞感に苛まれ,要介護高齢者の歯科診療を断念してしまう者もいた. それから30年近くが経過し,その間,私は多くの要介護高齢者の口腔を診察してきた.そして,できるだけ症例の写真を残してきた.いずれこれらの症例の経過を同じ要介護高齢者を診察する歯科医師に伝えたいと思ったからである. 先人の知見をもって診療のベースを作ることは,どんなに時代が進んでも変わらない.今回機会を得て,これから要介護高齢者を診察する歯科医師だけでなく,すでに経験を積んだ歯科医師にもその診療ベースを作ることに役立てて欲しいという願いで本書を執筆した. その内容には,私の経験則だけでエビデンスがないものも数多くある.しかし,その経験則を生かして,より良い医療へつなげることに活用していただければ,著者として望外の喜びである.そして本書が先生方の糧となり,一人でも多くの患者さんが快適な口腔環境を得られるようになることを願ってやまない. 本書を刊行するにあたり,多大な時間と労力を費やし,素晴らしい書籍に仕上げるためにご尽力いただいた株式会社ヒョーロン・パブリッシャーズの渡邊 潤氏に深■いたします.2023年2月 医療法人永寿会陵北病院 副院長阪口英夫はじめに
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