![]() 下顎総義歯の吸着を求めて実践なさっている先生方へ (『日本歯科評論(Dental Review)』11月号に掲載された内容を転載したものです.) こつぼ たかはる 小 坪 隆 治 10月号特集・誌上シンポジウム「下顎総義歯 吸着へのチャレンジ」を目にする機会に恵まれ,今まで自分自身の下顎総義歯臨床において,意識していなかった“吸着”という概念に触れることができました.本特集は,従来の総義歯に関する文献とは異なり論理的に構成されており,阿部二郎先生が「メカニズムやルールをきちっと把握しましょう」と述べられているように,これから総義歯臨床を行う上での新しい指標にしたいと思わせる内容でした. 維持から吸着へ 糠沢真壱先生は,目指す義歯が“維持”から“吸着”へと変化してきた,という趣旨を述べられていますが,私の臨床においては総義歯装着時に,「痛くなく」「噛める」ことを念頭に置いて治療を進めてきました.下顎総義歯が吸着した経験はありますが,それは顎堤の条件が良好な時であり,たまたま吸着していたにすぎません.本特集を読んで,今後は下顎総義歯が吸着するメカニズムを理解し,臨床応用することが上達への一歩になる,と考えました. これまでの総義歯臨床を振り返ってまず頭に浮かぶのは,歯科大学での総義歯学のカリキュラムは講義に始まり,模型実習(総義歯製作),臨床実習の順序で進められた影響か,模型に合わせて義歯を作製し,完成した義歯が,口腔内に合っているかどうかを指針に診療をしてきたことです.そして,避けるべき可動粘膜を適切に避けているか,総義歯床縁を後顎舌骨筋窩まで的確に伸ばして維持しているか,等をチェック項目としていました.そのため,咀嚼運動についてはあまり考慮していなかったと言えます.さらに,患者に義歯を使用してもらい,痛いところがあれば削って調整する,という対症療法的な診療に終始していたように思います. 今年6月,日本顎咬合学会学術大会のテーブルクリニックにおいて,佐藤勝史先生は,装着された下顎総義歯をピンセットを使ってはずそうとしても,なかなかはずれない様子を動画で提示されましたが,これは「維持」ではなく,「吸着」を念頭に総義歯臨床を行っている結果だったのだ,と今になって気づかされました. 術者主導型印象と患者主導型印象 次に,“患者主導型印象”という概念についても目の覚める思いです.今まで私は,術者主導型の開口印象を行ってきましたが,印象採得が一連の動きではなく,断続的で部分的な印象面の積み重ねであるように思えてきました. 一方,阿部先生らが実践されている閉口機能印象法では顎運動時の舌運動,筋運動,小帯の動き,嚥下運動など一連の動きが印象面に凝縮されていることがうかがえます.これだけ多くの情報が印象面に反映されているにもかかわらず,術式は比較的簡略に感じます. 私もさっそく,枠なしトレーを使用して,閉口機能印象法で印象採得を試みました.印象採得時に,患者さんの了解を得て,既製トレーと枠なしトレーでスナップ印象を2回採得しました.やはり,既製トレーで印象採得すると,トレーの辺縁の長さにより印象の形が左右されてしまうように感じます.それに比較して枠なしトレーは,患者の閉口状態の自然な粘膜面形態が印象されていたように思いました.特に,最も印象が難しいと言われるレトロモラーパッド部を,既製トレーで採得した場合,頬粘膜と既製トレーの端の部分が当たるので正確に印象採得できないようです. 佐藤先生が「義歯床全周を辺縁封鎖する」と述べておられることについて,レトロモラーパッドの閉鎖だけでも四苦八苦しているのに……と最初は思っていましたが,印象採得のメカニズムと術式を理解していくうちに,今では“自分にもできるのではないか”と感じています. また,義歯全周を封鎖させるには解剖学を理解する必要性を強く感じました.今回の特集では,解剖をふまえた解説がふんだんに盛り込まれていますが,出席された先生方はそのことを十分に理解し,義歯を生体の一部としてとらえているのではないか,とさえ感じました. 経験から学問へ 阿部先生による「染谷のスジ」の話題に表れているように,本特集は今までの総義歯臨床に関する先達の先生方の業績を土台にして,さらに進化させていることが感じ取れました.「枠なしトレーによる印象採得」「閉口機能印象法」等により,術者が異なっても,また(同一の術者が)複数回行っても,同様な結果が得られることは驚嘆に値します.「名人と呼ばれる先生の知識と技術と勘所は,一代で完結してしまう」と言われがちですが,総義歯臨床を,誰にでも理解でき,実践できる学問としての確立を目指しているのではないか,と感じています.さらに齋藤善広先生をはじめとする,次世代を担う先生方に確実に継承されている様子がうかがえました.
しかしながら,保険制度における義歯の評価が低い現状においては,インプラント治療に収入を頼らざるを得ないドクターも少なくないのではないでしょうか.学問としての義歯学が発展することはもちろんのことですが,若い世代の先生が“義歯専門医”として安心して診療ができる環境作りも必要ではないか,と考えます. |
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![]() 矯正歯科医として,一個人として,お便りを差し上げました…… (『日本歯科評論(Dental Review)』10月号に掲載された内容を転載したものです.) いしい のりこ 石 井 紀 子 9月号特集「歯科矯正――抜歯・非抜歯の現状」を拝読し,一矯正歯科医として,またかつて矯正歯科治療を受けた一個人として,お便りさせていただきます. 私は,矯正臨床に携わって15年余りとなりますが,その間,常に話題に上るのがこの「抜歯・非抜歯」の問題であり,日常臨床上も常に頭を悩ます問題の一つとなっています. そもそも私が矯正歯科医になったきっかけは,実はこの「抜歯・非抜歯」の問題とも言えます.私自身が子供時代に矯正歯科治療を受けた際,上下左右4本の第一小臼歯抜歯を行いましたが,私は子供ながらに,“何故,抜歯が必要なのか”“何故,上下左右第一小臼歯なのか”等,疑問が一杯であったことを今でも鮮明に覚えています.特に抜歯が嫌だったというわけではありませんが,やはり抜歯については疑問も多く,“何故なのだろう”と思いつつも治療は進み,あっという間に終了しました.今から思えば,下顎前歯に叢生を認め,上顎前突・過蓋咬合を呈していたと思われる当時の私に対する治療は,矯正治療として「抜歯・非抜歯」の観点からも難しい症例であったのではないかと考えます.私の記憶では,その治療結果について,下顎前歯の叢生は解消されたものの,治療後のバイトは深く,相変わらず下顎前歯が見えなかったことを不思議に感じました. そのような経験から,私は矯正歯科治療に対して非常に興味を持ち,その数年後,歯学部へと進むことになりました.そして大学の矯正科に入局してから,早速同僚の先生に「君の口元は矯正で抜歯をすべきではなかったね」と言われ,自らも口腔内容積の狭さや過蓋咬合および下顎骨の後方誘導によると思われる顎関節の不調和を感じ始めていましたので,やはり矯正の診断・治療は難しいと改めて実感した次第でした.
「抜歯・非抜歯」の問題は非常に難しく,各先生方のお話もそれぞれのお考えが述べられており,1つの決まった見解があるというものではありません.私も日常の臨床において,診断に際し「抜歯・非抜歯」について考える時,患者の主訴や希望を念頭に,その症例の顎態,咬合状態,歯の大きさ・異常,アーチレングス・ディスクレパンシーなどを考慮し,その他にも家族歴や治療のタイミング(顎骨成長の有無),顎骨骨切術の併用,軟組織の状態や習癖など,様々な要因を検討しながらその判断を行います.もちろん,診断に用いる検査法や分析法,実際の治療におけるテクニックなどによってもその判断は異なってくるものと思われますが,各先生方が述べられていたとおり,やはり一番肝心なのは,治療後のバランスとその予後(安定性)ではないかと思います.また症例によっては,第三大臼歯の存在などでその判断は異なることもあり得ると思われます.
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