著者への手紙


矯正歯科医として,一個人として,お便りを差し上げました……
(『日本歯科評論(Dental Review)』10月号に掲載された内容を転載したものです.)

いしい のりこ
石 井 紀 子

  9月号特集「歯科矯正――抜歯・非抜歯の現状」を拝読し,一矯正歯科医として,またかつて矯正歯科治療を受けた一個人として,お便りさせていただきます.
 私は,矯正臨床に携わって15年余りとなりますが,その間,常に話題に上るのがこの「抜歯・非抜歯」の問題であり,日常臨床上も常に頭を悩ます問題の一つとなっています.
 そもそも私が矯正歯科医になったきっかけは,実はこの「抜歯・非抜歯」の問題とも言えます.私自身が子供時代に矯正歯科治療を受けた際,上下左右4本の第一小臼歯抜歯を行いましたが,私は子供ながらに,“何故,抜歯が必要なのか”“何故,上下左右第一小臼歯なのか”等,疑問が一杯であったことを今でも鮮明に覚えています.特に抜歯が嫌だったというわけではありませんが,やはり抜歯については疑問も多く,“何故なのだろう”と思いつつも治療は進み,あっという間に終了しました.今から思えば,下顎前歯に叢生を認め,上顎前突・過蓋咬合を呈していたと思われる当時の私に対する治療は,矯正治療として「抜歯・非抜歯」の観点からも難しい症例であったのではないかと考えます.私の記憶では,その治療結果について,下顎前歯の叢生は解消されたものの,治療後のバイトは深く,相変わらず下顎前歯が見えなかったことを不思議に感じました.
 そのような経験から,私は矯正歯科治療に対して非常に興味を持ち,その数年後,歯学部へと進むことになりました.そして大学の矯正科に入局してから,早速同僚の先生に「君の口元は矯正で抜歯をすべきではなかったね」と言われ,自らも口腔内容積の狭さや過蓋咬合および下顎骨の後方誘導によると思われる顎関節の不調和を感じ始めていましたので,やはり矯正の診断・治療は難しいと改めて実感した次第でした.


「抜歯・非抜歯」の問題は非常に難しく,各先生方のお話もそれぞれのお考えが述べられており,1つの決まった見解があるというものではありません.私も日常の臨床において,診断に際し「抜歯・非抜歯」について考える時,患者の主訴や希望を念頭に,その症例の顎態,咬合状態,歯の大きさ・異常,アーチレングス・ディスクレパンシーなどを考慮し,その他にも家族歴や治療のタイミング(顎骨成長の有無),顎骨骨切術の併用,軟組織の状態や習癖など,様々な要因を検討しながらその判断を行います.もちろん,診断に用いる検査法や分析法,実際の治療におけるテクニックなどによってもその判断は異なってくるものと思われますが,各先生方が述べられていたとおり,やはり一番肝心なのは,治療後のバランスとその予後(安定性)ではないかと思います.また症例によっては,第三大臼歯の存在などでその判断は異なることもあり得ると思われます.
 最近,矯正臨床を行っていて特に感じることは,この第三大臼歯の問題,あるいはそれ以前に問題となる第二大臼歯の萌出困難(傾斜や埋伏)に関するものです.小児期の矯正治療で,永久歯の萌出誘導や顎の拡大・成長誘導などを行い,第一大臼歯までの永久歯を非抜歯にて無事(?)配列したと思った矢先に,ポステリオール・クラウディングの問題が生じ,第二・第三大臼歯の萌出余地不足から,場合によっては若年齢での埋伏歯早期抜歯(主に第三大臼歯)の必要性に迫られることがよくあります.有本先生が述べられていたように,大臼歯のポジションを改善することにより萌出余地を確保することも非常に大切だと思います.
 一方,歯の大きさの問題や顎の成長,拡大量の限界から,非抜歯での配列が困難な場合もあります.そのような時,小臼歯抜歯を行わずに第三大臼歯の早期抜歯を行うことがありますが,患者本人はもとより,口腔外科など抜歯を行う担当医にも,「できれば避けたい(遅らせたい)」と言われることがよくあります.最近では歯の先天欠如の症例も時折見かけますが,多くはむしろこのような第三大臼歯まで存在する症例で,早期に大変な大臼歯の抜歯を行うより,むしろ小臼歯の抜歯により叢生等の改善を図るほうが無難なのではないか,と考えさせられる症例も少なくありません.
 福原先生も述べられていたとおり,日本人は特に歯の大きさが大きく,短頭型を示す人種であり,そもそも非抜歯の矯正治療には困難を伴う症例も少なくないのではないかと思います.また,非抜歯の治療には患者の協力が不可欠なものも多く,時間的にも余裕がなければ,やむなく小臼歯抜歯を選択するということも,実際の臨床では多いように思います.
 話は変わりますが,私はかつて口唇口蓋裂児の顎態の研究で,タイ人(主に中国系)と日本人の乳児の裂隙閉鎖術前・後の歯槽弓形態の三次元的変化を,歯槽弓模型を用い計測・比較しました.その結果は,裂隙閉鎖の手術法やそのタイミング,精度などの違いよりも,むしろそれぞれの人種のもつ顎態パターンの相違の影響が大きいことがわかりました.日本人にみられた歯槽弓形態は狭小で,タイ人のそれとは明らかに異なり,結論としては,ノーマルな状態でも両者は明らかに違う顎態パターンを示すのではないかというものでした.事実,タイ人の乳児には,その後「不正咬合」となるケースは少ないということでした.
 さらに,最近,私は地域の保健所で1歳半や3歳児の歯科健診を行っていますが,明らかに歯列弓の狭小な子供が多く,乳歯列に適切な被蓋や適度な歯間空隙が見られるものはごく僅かで,多くの子供にはすでに叢生や不正咬合が見られます.このことからも,日本人の歯列弓は成長のかなり早い段階から,不正咬合になる傾向が見られていると考えてもよいのではないかと思っています.すでに「抜歯・非抜歯」問題の始まりなのでしょうか.


 以上,一矯正歯科医として,また一個人としてお手紙させていただきました.まだまだ未熟な私ですが,先生方の貴重なご意見に基づき,これからも日々,様々な症例を様々な角度から分析・検討し,より良い臨床ができるよう努めたいと思っております. 以上,今後の歯科医療を取り巻く環境は確実に変化していくと考えられ,適切な対応とシステム整備のためにも,今回の特別企画は非常に有用でした.




矯正歯科医として,一個人として,お便りを差し上げました……
(『日本歯科評論(Dental Review)』10月号に掲載された内容を転載したものです.)

いしい のりこ
石 井 紀 子

  9月号特集「歯科矯正――抜歯・非抜歯の現状」を拝読し,一矯正歯科医として,またかつて矯正歯科治療を受けた一個人として,お便りさせていただきます.
 私は,矯正臨床に携わって15年余りとなりますが,その間,常に話題に上るのがこの「抜歯・非抜歯」の問題であり,日常臨床上も常に頭を悩ます問題の一つとなっています.
 そもそも私が矯正歯科医になったきっかけは,実はこの「抜歯・非抜歯」の問題とも言えます.私自身が子供時代に矯正歯科治療を受けた際,上下左右4本の第一小臼歯抜歯を行いましたが,私は子供ながらに,“何故,抜歯が必要なのか”“何故,上下左右第一小臼歯なのか”等,疑問が一杯であったことを今でも鮮明に覚えています.特に抜歯が嫌だったというわけではありませんが,やはり抜歯については疑問も多く,“何故なのだろう”と思いつつも治療は進み,あっという間に終了しました.今から思えば,下顎前歯に叢生を認め,上顎前突・過蓋咬合を呈していたと思われる当時の私に対する治療は,矯正治療として「抜歯・非抜歯」の観点からも難しい症例であったのではないかと考えます.私の記憶では,その治療結果について,下顎前歯の叢生は解消されたものの,治療後のバイトは深く,相変わらず下顎前歯が見えなかったことを不思議に感じました.
 そのような経験から,私は矯正歯科治療に対して非常に興味を持ち,その数年後,歯学部へと進むことになりました.そして大学の矯正科に入局してから,早速同僚の先生に「君の口元は矯正で抜歯をすべきではなかったね」と言われ,自らも口腔内容積の狭さや過蓋咬合および下顎骨の後方誘導によると思われる顎関節の不調和を感じ始めていましたので,やはり矯正の診断・治療は難しいと改めて実感した次第でした.


「抜歯・非抜歯」の問題は非常に難しく,各先生方のお話もそれぞれのお考えが述べられており,1つの決まった見解があるというものではありません.私も日常の臨床において,診断に際し「抜歯・非抜歯」について考える時,患者の主訴や希望を念頭に,その症例の顎態,咬合状態,歯の大きさ・異常,アーチレングス・ディスクレパンシーなどを考慮し,その他にも家族歴や治療のタイミング(顎骨成長の有無),顎骨骨切術の併用,軟組織の状態や習癖など,様々な要因を検討しながらその判断を行います.もちろん,診断に用いる検査法や分析法,実際の治療におけるテクニックなどによってもその判断は異なってくるものと思われますが,各先生方が述べられていたとおり,やはり一番肝心なのは,治療後のバランスとその予後(安定性)ではないかと思います.また症例によっては,第三大臼歯の存在などでその判断は異なることもあり得ると思われます.
 最近,矯正臨床を行っていて特に感じることは,この第三大臼歯の問題,あるいはそれ以前に問題となる第二大臼歯の萌出困難(傾斜や埋伏)に関するものです.小児期の矯正治療で,永久歯の萌出誘導や顎の拡大・成長誘導などを行い,第一大臼歯までの永久歯を非抜歯にて無事(?)配列したと思った矢先に,ポステリオール・クラウディングの問題が生じ,第二・第三大臼歯の萌出余地不足から,場合によっては若年齢での埋伏歯早期抜歯(主に第三大臼歯)の必要性に迫られることがよくあります.有本先生が述べられていたように,大臼歯のポジションを改善することにより萌出余地を確保することも非常に大切だと思います.
 一方,歯の大きさの問題や顎の成長,拡大量の限界から,非抜歯での配列が困難な場合もあります.そのような時,小臼歯抜歯を行わずに第三大臼歯の早期抜歯を行うことがありますが,患者本人はもとより,口腔外科など抜歯を行う担当医にも,「できれば避けたい(遅らせたい)」と言われることがよくあります.最近では歯の先天欠如の症例も時折見かけますが,多くはむしろこのような第三大臼歯まで存在する症例で,早期に大変な大臼歯の抜歯を行うより,むしろ小臼歯の抜歯により叢生等の改善を図るほうが無難なのではないか,と考えさせられる症例も少なくありません.
 福原先生も述べられていたとおり,日本人は特に歯の大きさが大きく,短頭型を示す人種であり,そもそも非抜歯の矯正治療には困難を伴う症例も少なくないのではないかと思います.また,非抜歯の治療には患者の協力が不可欠なものも多く,時間的にも余裕がなければ,やむなく小臼歯抜歯を選択するということも,実際の臨床では多いように思います.
 話は変わりますが,私はかつて口唇口蓋裂児の顎態の研究で,タイ人(主に中国系)と日本人の乳児の裂隙閉鎖術前・後の歯槽弓形態の三次元的変化を,歯槽弓模型を用い計測・比較しました.その結果は,裂隙閉鎖の手術法やそのタイミング,精度などの違いよりも,むしろそれぞれの人種のもつ顎態パターンの相違の影響が大きいことがわかりました.日本人にみられた歯槽弓形態は狭小で,タイ人のそれとは明らかに異なり,結論としては,ノーマルな状態でも両者は明らかに違う顎態パターンを示すのではないかというものでした.事実,タイ人の乳児には,その後「不正咬合」となるケースは少ないということでした.
 さらに,最近,私は地域の保健所で1歳半や3歳児の歯科健診を行っていますが,明らかに歯列弓の狭小な子供が多く,乳歯列に適切な被蓋や適度な歯間空隙が見られるものはごく僅かで,多くの子供にはすでに叢生や不正咬合が見られます.このことからも,日本人の歯列弓は成長のかなり早い段階から,不正咬合になる傾向が見られていると考えてもよいのではないかと思っています.すでに「抜歯・非抜歯」問題の始まりなのでしょうか.


 以上,一矯正歯科医として,また一個人としてお手紙させていただきました.まだまだ未熟な私ですが,先生方の貴重なご意見に基づき,これからも日々,様々な症例を様々な角度から分析・検討し,より良い臨床ができるよう努めたいと思っております.