![]() 4月号特集「メタルフリーでブリッジは可能か―歯冠色補綴修復の最前線」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』5月号に掲載された内容を転載したものです.) やまもとひろし 山本 寛 近年の歯科材料と接着技法の進歩により,単冠のメタルフリー修復に関してはかなり安定した結果が得られるようになり,材料の選択肢も多くなった.一方,欠損補綴への応用が可能な材料となると選択の幅はかなり狭められてしまっていたが,本特集を読み,オールセラミックスにおける材質的な問題はかなり改善されてきたという印象を持った.しかし,紹介された多くのシステムではCAD/CAMシステムや専用ファーネスの導入が必要とされ,かなりの設備投資を必要とすることから,経済的な面で自由な材料の選択を難しくしているとも言えよう. 他方,従来の硬質レジンより機械的強度に優れ,セラミックスほど硬さや脆さが見られない高分子材料であるハイブリッドセラミックスは,単冠の臼歯部歯冠色修復ではすでに高い評価を得ている.しかし,ファイバー補強型ハイブリッドセラミックスブリッジは,オールセラミックスブリッジ以上に症例が限定され,歯科技工士の技量と接着に対する知識に品質が大きく影響を受ける.そのため,「当院ではハイブリッドセラミックスによるメタルフリーブリッジを行っています」と患者さんにアナウンスするには,まだまだほど遠いと言えるであろう.今後のさらなる改良に期待したい. 高橋論文では,メタルフリーブリッジはジルコニア等を中心とする「高強度ロングスパン対応型の高コストタイプ」と,比較的簡便に応用可能な「ファイバー補強型ハイブリッドセラミックスを中心とする高靱性,低コストタイプ」に分かれていくのではないかと示唆している.高強度セラミックスとハイブリッドセラミックスはそれぞれ異なる利点と欠点を有している.決して低コスト=低品質ではなく,適材適所へ正しく使い分けるためには,歯科医師が材料や技工に関する知識をさらに深める必要があろう. 松村論文ではメタルフリーブリッジの臨床的課題を簡潔に,(1)強度不足に対する要求,(2)アレルギー患者への対応策としての応用の可能性,(3)審美性への高い関心に対する要求,に分類して述べている. 特に金属アレルギーの患者さんにとって,強度の問題をある程度犠牲にしてもメタルフリーブリッジを使用できることが福音であるのは間違いないであろう.金属アレルギーの患者さんに関しては,費用の問題も含めて,治療を受けられる環境の整備が急務と思われる. 材料の強度不足は,メタルフリーブリッジを行うに当たって最も大きな問題であったが,各論文を拝読すると,この問題も解決の出口が見えてきたようである.ただし,材料学的に割れない強度を追求するだけでなく,硬すぎる大型補綴物を長期間使用した場合の生体への影響といった,臨床に即した面からも併せて検討していただきたいと感じた. 審美性に対する患者さんの要求が高くなってきたのは事実であり,それに応えられることは歯科医師にとって大きな喜びである.しかし,前歯部ならいざ知らず,臼歯部の修復においてメタルフリーであることが必須の要件となるほど審美性が求められる症例が,実際にどの程度存在するのであろうか,という疑問もある.術者の好みで新しい技術を患者さんに押しつけるのではなく,利点と欠点を踏まえた上で最も適した材料・手法を提案できるような体制を,歯科技工所と共に確立したいものである. |
![]() 4月号特集「メタルフリーでブリッジは可能か―歯冠色補綴修復の最前線」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』5月号に掲載された内容を転載したものです.) まやまもとしょうご 山本尚吾 本特集を読んで感じたことは,ついにメタルフリー補綴物の本格的な幕開けの世紀が日本にも到来したということだ.メタルフリー補綴物の第1期は,1980年代初頭のダイコアに代表されるキャスタブルセラミックスの時代で,当時の大きなトピックスであったように思われる. 第2期はそれから5年後に始まる1985〜1995年の時期で,アルミナ焼結セラミックスのIn-Ceramとプレスセラミックスのパイオニアであるエンプレスシステムの登場は記憶に新しい.そして2000年に入ると,CAD/CAMシステムであるプロセラによりアルミナフレームを応用した補綴物製作が進展し,本格的なメタルフリー補綴物がいまや市民権を得る勢いで浸透しつつある. 私も,1980年のラボ開業と共にキャスタブルセラミックスを導入し,その後アルミナ焼結システム,そしてプレスセラミックスの導入を行いながら多くのメタルフリー補綴物における利点と欠点を経験してきた.現在では,アルミナ焼結セラミックスであるIn-Ceramを基本とした補綴物製作と,新たにCAD/CAMによるジルコニアフレームを応用したブリッジの製作に関する基本的な試験を開始したところである. 以上の他にも,セラミックス+高分子複合型のいわゆるハイブリッドセラミックスも大いに歯科界を賑わせている.しかし,私の個人的な考えだが,前記のセラミックスとハイブリッドセラミックスには大きな違いがあるのではないかと認識している.システムコストが比較的安価なハイブリッドセラミックスも材料コストは非常に高く,私には同一のカテゴリーで考えることは難しいように思われる.ただし今後,高分子材料のさらなる開発により,現状のハイブリッドセラミックスも進化していく可能性を大いに秘めているものと思われる. また近年では,CAD/CAMの応用がさまざまなメタルフリー補綴物製作の可能性を広げている.しかし,CAD/CAMの最大の問題点は,適合精度よりも高コストにあることは多くの臨床家から報告されているところである.日々の新たな試みとCAD/CAMをコントロールしているコンピュータソフトの改善により,精度は次第に実用的なレベルに近づきつつあると感じているが,世界的な経済の低迷に反比例するかのごとくCAD/CAMシステムは非常に高価であり,臨床的な採算ベースから遠ざかっているような気がする. 適切な医療を行うための投資や労働が医療従事者の生活を経済的に圧迫するようであるのなら,はたしてメタルフリー補綴物とはいかなるものなのか,その価値を問い直す必要が出てくるかもしれない.“メタルフリー”を普及させていくためには,経済的な面を含めさまざまな検討課題が残されているように思われる. いずれにしても,セラミックスがもたらす新たな時代の到来が歯科界をどのように変貌させていくのかは私には推測できないが,メタルフリー補綴物という現在の歯科医療のテーマの1つがもし完結できるとしたら,それは喜ばしいことであると考えている. オールセラミックスシステムの発祥地であり,オールセラミックスの聖地とされるスイス・チューリッヒ大学のピーター・シェーラ教授が昨年永眠された.シェーラ教授が多くの研究開発に関わっていたことは人々の知るところであるが,ジルコニアの歯科用材料への転用もシェーラ教授の最後の研究課題であったと聞く.シェーラ教授の遺志でもあるこの分野の研究がさらに進み,歯科界の発展へつながることを祈りつつ,シェーラ教授にささやかではあるがこの読後感を捧げたい. |
![]() 3月号特集「卒後20年の臨床―それぞれの予防指向への取り組み」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』4月号に掲載された内容を転載したものです.) きくちけんじ 菊地賢司 この特集を目にして,まず「20年」という言葉にドキッとした.私は,奇しくも本特集に登場する4人の先生方とは,出身大学は異なるが同期の開業医である.卒後20年というまさに折り返し地点に立ち,過去を検証し未来を模索しようという作業は,毎日を漫然と過ごし目標を見失ってしまっている私のような人間にとっては,大きな苦痛と勇気を要する.地域は違えども,同じ開業歯科医師の論文に大きな興味と期待を抱き,まずは特集を読み進んだ. 鈴木先生は開業後,“入れ歯屋”としての歯科医業に疑問を抱き,障害者歯科に出会ったことから予防に目覚める.障害者の口腔に接したときの衝撃が文面から伝わってくる.人生のターニングポイントには必ず人(患者さん,スタッフ,恩師)との出会いと感動がある.それが行動の原動力となっている.その後,先生は医院の外へ出て,施設をまわり,また地域歯科医師会に参加し,行政とも関わって保健センター設立に尽力される.大変なバイタリティーである,と感心した. 常盤先生の,歯科医学を科学としてとらえ,疑問を持ち,答えがなければ仮説を立てて研究立証せよ,という学者然とした言葉には大いに刺激された.それと併せて,子どもの目線の高さにこだわる人間的な臨床医像もお持ちである.研究と診療のほどよい調和を心から楽しんでおられる.子どもを見守る時間軸は長い.成長発育の中でブラキシズムがどこから来て,どこに行くのか,先生のさらなる探求の成果を聞きたい. 牧野先生の症例報告には,一人の患者さんとの一生を通じたおつきあいにかける臨床医のこだわりと決意をみた.“こうありたい”という歯科医院を作るために何をすればよいのか,強い気持ちでスタッフとともに歩む姿にはまったくぶれがない.また,志を同じくする仲間を得て,後輩に継承しようとする姿勢には脱帽する.すべてを含めた今の歯科臨床を「楽しい」と言い切る彼の言葉は,私の胸に熱く落ちてきた. 足立先生の発するケアや予防という言葉は重い.その意味するものの中心には患者さんがいて,心のふれあいを必要とするからだ.先生の,人を感動させることなどできないが自ら感じて動くことはできる,という言葉からは,訪問診療の現場での苦楽を彷彿とさせる.患者さんのQOLを高めること,それがすなわち歯科医師自身のQOLをも高めることだ,と理解した. 本当に四者四様の歩みである.どの先生も,おそらくこれまでの20年という期間を“自分にとっての必然”と感じておられる.それは精一杯やってきた人たちに共通するオーラのようなものだ.自信と言い換えてもよい.私は自分の現状と彼らとを比較しながら,情けないことにちょっと羨ましい気分になった.このままではいけないという気になり,これからの20年をどうするかという自問にもつながった.いつか私も,歯科医師としての自分史を語れるようになりたい,と思った. |
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![]() 3月号特集「卒後20年の臨床―それぞれの予防指向への取り組み」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』4月号に掲載された内容を転載したものです.) まつしまりょうじ 松島良次 今回の特集執筆陣と同じく,私も1984年に卒業した者として,自分の卒後20年と照らし合わせて興味深く読ませていただきました.過去・現在・未来からなる三部構成も,どの年代から見ても比較ができ,読みやすい,と感じるものでした.卒後,それぞれ違った道を歩んできた同級生が昔を懐かしむだけでなく,今までの成果をお互いに話し合える会に発展させたことを羨ましく思いました.普通なら,学生時代のとても歯科医師とは言えないような行動をともに過ごしてきた仲間たちが,突然偉そうなことを言っても信憑性に欠ける思いがして長続きしないものです.さすが「医者である前に人間であれ」の精神が引き継がれている伝統校の一端を垣間見たような気がしました. 私の卒後20年は,牧野先生と似ていて臨床を中心に経過観察を追うことで反省と葛藤の日々が続いています.そのせいか,重度の歯周病に罹患した患者さんに対し,10年間良好な経過を辿らせた臨床家のプライドと患者さんに対する熱い思いがひしひしと伝わってきました.しかし,おそらくその陰には,誌面では書き尽くせないほどのご苦労があり,数々の犠牲の上に成り立っていることと推察いたします. そして,今回特に感じたことは,少し前なら矯正や在宅医療の専門家はそう多くなかったのに,幼児から老人そして障害者とさまざまな専門分野で活躍している人が増えてきた,ということです.私のように,ただ来院する患者さんだけを診ている臨床家にとっては少々不安になってきます. 鈴木先生のように障害者歯科医療に取り組む姿を目にすると,通院してユニットの上で診療できる患者さんが口を大きく開けないとか,思いどおりにブラッシングしてくれないなどと言っている自分が情けなく思えてきました. また,常盤先生の“小児のうちから良い環境を作っていくことが最大の予防である”という考え方や第3の歯科疾患と言われているパラファンクションが引き起こすさまざまな悪影響に対する取り組みについては,特に誰もが待ち望んでいることとして,ブラックスペインターの安価な提供を期待しております. そして,足立先生の論文中の「○○さま」と患者さんを呼ぶ医院についての一節がグサっときました.まさに底の浅い当院の現状を見透かされたような気がしました.また,歯や歯肉しか見ていなかった私には「本当のケア」というものが理解できていなかったようで,もっと患者さんの生活背景を見てQOLを把握しなければ,と思いました. このように,4人の先生方それぞれの予防に対する考え方が伝わってくる内容でしたが,これには時代背景が反映されているような気がします.20年前はまだ歯科医院もそう多くなく,リコールやメインテナンスをするより,病気を治すことに追われがちでした.しかし最近では,新患が来てもひどいカリエスや重度歯周炎に冒されたケースが少なくなりました.これは,歯科医院数が過剰になったことにより,あまり待たずに治療が受けられるようになり,患者さんが早めに来院しやすくなったからだ,と思われます. 皮肉にも,今後のわれわれに残された生きるべき道は,メインテナンスを通して口腔の長期維持管理に努めるか,在宅や施設に訪問して口腔のケアを行うしかない時代に入ったのではないでしょうか? |