![]() 3月号特集「卒後20年の臨床―それぞれの予防指向への取り組み」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』4月号に掲載された内容を転載したものです.) きくちけんじ 菊地賢司 この特集を目にして,まず「20年」という言葉にドキッとした.私は,奇しくも本特集に登場する4人の先生方とは,出身大学は異なるが同期の開業医である.卒後20年というまさに折り返し地点に立ち,過去を検証し未来を模索しようという作業は,毎日を漫然と過ごし目標を見失ってしまっている私のような人間にとっては,大きな苦痛と勇気を要する.地域は違えども,同じ開業歯科医師の論文に大きな興味と期待を抱き,まずは特集を読み進んだ. 鈴木先生は開業後,“入れ歯屋”としての歯科医業に疑問を抱き,障害者歯科に出会ったことから予防に目覚める.障害者の口腔に接したときの衝撃が文面から伝わってくる.人生のターニングポイントには必ず人(患者さん,スタッフ,恩師)との出会いと感動がある.それが行動の原動力となっている.その後,先生は医院の外へ出て,施設をまわり,また地域歯科医師会に参加し,行政とも関わって保健センター設立に尽力される.大変なバイタリティーである,と感心した. 常盤先生の,歯科医学を科学としてとらえ,疑問を持ち,答えがなければ仮説を立てて研究立証せよ,という学者然とした言葉には大いに刺激された.それと併せて,子どもの目線の高さにこだわる人間的な臨床医像もお持ちである.研究と診療のほどよい調和を心から楽しんでおられる.子どもを見守る時間軸は長い.成長発育の中でブラキシズムがどこから来て,どこに行くのか,先生のさらなる探求の成果を聞きたい. 牧野先生の症例報告には,一人の患者さんとの一生を通じたおつきあいにかける臨床医のこだわりと決意をみた.“こうありたい”という歯科医院を作るために何をすればよいのか,強い気持ちでスタッフとともに歩む姿にはまったくぶれがない.また,志を同じくする仲間を得て,後輩に継承しようとする姿勢には脱帽する.すべてを含めた今の歯科臨床を「楽しい」と言い切る彼の言葉は,私の胸に熱く落ちてきた. 足立先生の発するケアや予防という言葉は重い.その意味するものの中心には患者さんがいて,心のふれあいを必要とするからだ.先生の,人を感動させることなどできないが自ら感じて動くことはできる,という言葉からは,訪問診療の現場での苦楽を彷彿とさせる.患者さんのQOLを高めること,それがすなわち歯科医師自身のQOLをも高めることだ,と理解した. 本当に四者四様の歩みである.どの先生も,おそらくこれまでの20年という期間を“自分にとっての必然”と感じておられる.それは精一杯やってきた人たちに共通するオーラのようなものだ.自信と言い換えてもよい.私は自分の現状と彼らとを比較しながら,情けないことにちょっと羨ましい気分になった.このままではいけないという気になり,これからの20年をどうするかという自問にもつながった.いつか私も,歯科医師としての自分史を語れるようになりたい,と思った. |
![]() 3月号特集「卒後20年の臨床―それぞれの予防指向への取り組み」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』4月号に掲載された内容を転載したものです.) まつしまりょうじ 松島良次 今回の特集執筆陣と同じく,私も1984年に卒業した者として,自分の卒後20年と照らし合わせて興味深く読ませていただきました.過去・現在・未来からなる三部構成も,どの年代から見ても比較ができ,読みやすい,と感じるものでした.卒後,それぞれ違った道を歩んできた同級生が昔を懐かしむだけでなく,今までの成果をお互いに話し合える会に発展させたことを羨ましく思いました.普通なら,学生時代のとても歯科医師とは言えないような行動をともに過ごしてきた仲間たちが,突然偉そうなことを言っても信憑性に欠ける思いがして長続きしないものです.さすが「医者である前に人間であれ」の精神が引き継がれている伝統校の一端を垣間見たような気がしました. 私の卒後20年は,牧野先生と似ていて臨床を中心に経過観察を追うことで反省と葛藤の日々が続いています.そのせいか,重度の歯周病に罹患した患者さんに対し,10年間良好な経過を辿らせた臨床家のプライドと患者さんに対する熱い思いがひしひしと伝わってきました.しかし,おそらくその陰には,誌面では書き尽くせないほどのご苦労があり,数々の犠牲の上に成り立っていることと推察いたします. そして,今回特に感じたことは,少し前なら矯正や在宅医療の専門家はそう多くなかったのに,幼児から老人そして障害者とさまざまな専門分野で活躍している人が増えてきた,ということです.私のように,ただ来院する患者さんだけを診ている臨床家にとっては少々不安になってきます. 鈴木先生のように障害者歯科医療に取り組む姿を目にすると,通院してユニットの上で診療できる患者さんが口を大きく開けないとか,思いどおりにブラッシングしてくれないなどと言っている自分が情けなく思えてきました. また,常盤先生の“小児のうちから良い環境を作っていくことが最大の予防である”という考え方や第3の歯科疾患と言われているパラファンクションが引き起こすさまざまな悪影響に対する取り組みについては,特に誰もが待ち望んでいることとして,ブラックスペインターの安価な提供を期待しております. そして,足立先生の論文中の「○○さま」と患者さんを呼ぶ医院についての一節がグサっときました.まさに底の浅い当院の現状を見透かされたような気がしました.また,歯や歯肉しか見ていなかった私には「本当のケア」というものが理解できていなかったようで,もっと患者さんの生活背景を見てQOLを把握しなければ,と思いました. このように,4人の先生方それぞれの予防に対する考え方が伝わってくる内容でしたが,これには時代背景が反映されているような気がします.20年前はまだ歯科医院もそう多くなく,リコールやメインテナンスをするより,病気を治すことに追われがちでした.しかし最近では,新患が来てもひどいカリエスや重度歯周炎に冒されたケースが少なくなりました.これは,歯科医院数が過剰になったことにより,あまり待たずに治療が受けられるようになり,患者さんが早めに来院しやすくなったからだ,と思われます. 皮肉にも,今後のわれわれに残された生きるべき道は,メインテナンスを通して口腔の長期維持管理に努めるか,在宅や施設に訪問して口腔のケアを行うしかない時代に入ったのではないでしょうか? |
![]() 2月号特集「欠損歯列再考―臼歯部中間欠損の処置方針」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』3月号に掲載された内容を転載したものです.) まえだ あきとし 前田晃利 欠損補綴には現在,無補綴を含めてインプラント,パーシャルデンチャー,ブリッジ,矯正治療,歯牙移植など,さまざまな選択肢がある.しかし,何をどのように選択するかは臨床医として常に考えさせられる問題である. 特集で述べているように,欠損補綴には「口腔機能の回復を図る」ことだけにとどまらず,「欠損がそれ以上に広がることを防ぐ」「顎堤の吸収が起こらないようにする」という目的がある.治療後の安定した状態をいかに長期にわたり維持させるか.そのためには,主訴をよく把握し,現症状だけではなく「なぜ欠損になったか」の原因の把握はもとより,治療以前の補綴物はどんなものだったか,欠損歯数と残存歯の咬合支持関係,欠損部の対向関係,残存歯の状態,顎堤の状態,全体的な咬合,固有の咬合,患者さんの年齢,既往歴や全身状態など,生体への侵襲にとって基本となるいくつかの条件を把握する必要がある. それらから,口腔内の長期的な展望を予想し,総合的に処置方針をたて,患者さん個人の生活環境や経済的事情,歯科治療に何を望んでいるのか(インプラント補綴を選択する機会が増えた最近でも,未だ外科的処置を望まない患者さんもいる),さらには審美性なども十分考慮して治療に当たるのが理想といえる. 今回のテーマである臼歯部中間欠損において,中間1歯欠損のケースでは,ブリッジ補綴やインプラント補綴(主に隣在歯がバージントゥースの場合)での予後は良好な結果を得ている場合が多い.しかし,中間2歯欠損のケースでは,ロングスパンブリッジを選択することにより,支台歯の歯根破折,補綴物の脱離,破損など種々のトラブルを招きやすい.そのため,ロングスパンブリッジを選択しない他の処置を行いたいところであるが,諸条件によりブリッジ以外の選択が難しい時がある.そのような場合に,症例Uのように矯正移動により欠損形態を改善し,中間1歯欠損にすることでロングスパンブリッジを回避することは非常に有効で,予知性の高い処置がなされる,と考えられる. また,症例Tのように高齢者の治療に際しては,どの時点でどこまで先を見越して処置すべきかは難しい問題であり,患者さんが自ら行う日常のメインテナンスの容易さだけでなく,介護を受ける側になった場合に介護する者にとってメインテナンスしやすい欠損補綴治療を行うことが重要である.しかし,今後さらなる高齢社会を迎えるにあたり,しかも高齢者のQOLを考えた時に,単なる年齢に対する先入観に影響されてはならないと思う.すなわち,たとえ高齢者であったとしても,現時点でのメインテナンスが良好でなおかつ諸条件が整えば,ブリッジ,歯牙移植,インプラントなども選択肢の1つとして積極的に取り入れて処置すべきではないか,と考える.
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![]() 1月号「新春展望:歯科界の閉塞感を打破しよう!―私の提言」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』3月号に掲載された内容を転載したものです.) おかなが さとる 岡永 覚 率直に「医療管理学が通用する時代は,20世紀で終わったな」と改めて再確認した.現在,筆者の手元には,医療管理学の本は殆ど残っていない.21世紀に通用する歯科医業経営のビジネス・モデルを提案していないと思ったので,捨てた.今,歯科医業経営に求められているのは,経営戦略能力だと思う.もはや会計などの経営管理能力だけで対処できるような,甘い状況ではない.したがって,20世紀の歯科医業経営のビジネス・モデルを踏襲している医療管理学の考え方を捨てない限り,閉塞感からの脱却は不可能であろう. そもそも,疾病構造が変化したにも拘わらず「メタルボンドポーセレン冠だ」「金冠だ」なんて言っているようではダメでしょう.レジンの進歩を考えると,田上順次先生の言うように,メタルボンドポーセレン冠や金冠の時代は終わったのだ.筆者も,歯科技工士に頼み,硬質レジンやコンポジットレジンの替わりにハイブリッド・セラミックを使っている.患者に「保険の治療は無茶苦茶だから,まともな治療を受けたければ金を出して自費でやれ」なんて言ってメタルボンドポーセレン冠や金冠を勧めているようでは,失業してしまうからね.患者は,ハイブリッド・セラミックに満足して喜んでいるよ. 康本征史先生が「歯科にゴールドラッシュがやってくる!」と言っているのに,「バカな奴!」と思っている読者も,多くいると思うよ.たしかに,康本先生が言うように団塊の世代は魅力的かもしれない.しかし,問題はその子供達である.彼らは,勤労意欲が低く,フリーターやニートが多く,経済的に自立できない者も多い.そのため近年,保険で医療を受けることすら間々ならない貧困層が増えているのだ.そして,その貧困層を経済的に支えているのが,親である団塊の世代に他ならない.このように考えると,歯科にはゴールドラッシュなど来ませんよ. また,菅原準二先生が「口腔成育医」の必要性について述べているように,これからの歯科医は「咬合」に活路を見出すべきだと言う歯科医がいる.しかし,筆者は少し異なる見解を持っている.う蝕の減少により,仕方なく「咬合」を扱わざるを得なくなるだけのことで,すべての歯科医に歯科矯正を希望する患者が来るほど現実は甘くない.筆者も矯正歯科や小児歯科の専門医ではないので,歯科矯正の患者が来ない.顎関節症の患者が希望した場合,歯科矯正をしているだけである. では,歯科医はどうしたら良いのだろうか.少なくとも,今までと同じことをしている限り患者は来ないから,新たな歯科医療サービスを始めるしかないのでは…….患者は,今の歯科医療サービスに満足しているのではない.その不満を解消するため,新たな歯科医療サービスを求めているのだ.そのような患者の要求に答えていけば,ゴールドラッシュも決して夢ではないと思う. 例えば,中島栄一郎先生は,歯科矯正にPNFを併用して成果を上げている(『歯科PNFマニュアル』中島栄一郎著/クインテッセンス出版).このように,既存の歯科医療サービスに少し付加価値を与えただけでも新たな歯科医療サービスになるのだ.PNFは摂食・嚥下リハビリテーションへの応用も可能である.訪問歯科診療にPNFを採り入れれば,新たな歯科医療サービスになると思う.植田耕一郎先生も,『統合医学』の必要性に言及しているではないか. 患者から「他の歯科医院にないサービスは何ですか?」と聞かれて即答できない開業医は,21世紀を生き抜いていけないと思う. |