読後感


5月号特集『デジタル画像を活用したラボとの連携』を読んで
(『日本歯科評論(Dental Review)』6月号に掲載された内容を転載したものです.)

いまい ひろし
今井 洋

 診療室に新しい器材を導入するときには,その時期と利用するメリットをしっかり考えて決めなければならない.また,導入したらすぐに使えるように心がけなければならない.すなわち,デジタルカメラを導入するのであれば,デジタル機器についてある程度の知識,あるいはわからないことをすぐに聞くことのできるネットワークが整っているか,ということが重要だ.
 本特集は,性能や価格の点で最近身近になってきた一眼レフデジタルカメラを利用して技工士さんとの連携を行うという意味で,たいへんタイムリーな話題の提供であろう.デジタルカメラをいち早く導入された岡田先生の論文や,アナログ時代の出費は数百万円という木原先生の論文を読んでも,先人の苦労には大変なものがある.
 私も1994年頃,デジタルカメラの黎明期に(株)ヨシダより発売された歯科専用機種を使い,多くの症例写真や技工士さんとの連絡用写真を撮りはじめた.当時としては高額な出費であったが,それ以前からの銀塩写真の整理に困っていたので,画質の低下を差し引いてもデジタル化の便利さを強く感じたものである.
 特集で書かれているように,口腔内写真は一眼レフで撮影するのがベストであるが,そのためには同一条件・同一規格,すなわちマニュアルで撮影することが必須だ.それはファインダーで覗いたとおりの画像が撮影できること,被写界深度が直接見られることが必要とされるからである.
 一眼レフデジカメはデジタル機器と光学レンズの組み合わせだ.コンピュータの世界が「ムーアの法則」注)で進歩しているとすれば,購入を先に延ばせば延ばすほど高性能で廉価な物が買える.しかし,レンズはそれほどの進化はしない.私などは大学卒業時に購入したマイクロニッコールというレンズを今の新しいデジカメに付けて使っている.この20数年前のレンズと最新のデジタルカメラのコラボレーションができるのも一眼レフのメリットだ.この特集を読んでからデジタル写真に取り組むことは,先人と同じような努力や莫大な投資をせずに導入できるのだからありがたいことである.費用対効果を考えれば,今が導入するチャンスであろう.
 デジタル機器を使ったラボとの連携で大切なことは,われわれ歯科医師と技工士さんとがデジタル機器に関して同じレベルや価値観を持っているかどうかということである.どの論文も,技工士さんとの連携について理想的な例が詳しく解説されているが,専門用語のやさしい解説や初心者にとってわかりやすいQ&A集などがあると,これから取り組もうとする方にもより親切な内容になるのではないだろうか.また,接写時の注意点について,アナログ写真・デジタル写真との比較を表形式で解説されるとよりわかりやすいのではないだろうか.
 最近普及してきたデジタルレントゲンを添付書類として技工士さんとの連携に活用すること,さらに進んで,患者さんの顎の動き方や表情,姿勢や発音について,同様に高機能・低価格化の進んでいるビデオカメラによる動画(ムービー)の利用についての特集も,今後の企画として期待したい.

注)Intel社の創設者の1人であるGordon Moore博士が1965年に経験則として提唱した,「半導体の集積密度は18〜24カ月で倍増する」という法則.




読後感


5月号特集『デジタル画像を活用したラボとの連携』を読んで
(『日本歯科評論(Dental Review)』6月号に掲載された内容を転載したものです.)

いけざわ つとむ
池澤 力

 この2,3年の間に,一般の写真のみならず口腔内写真もアナログからデジタルへと急速に移行しつつあります.本特集で述べられているように,デジタル画像は利便性が高く,カメラ本体も今後ますます高性能化と低価格化が進んでいくものと思われ,診療所とラボとの情報伝達がすべてデジタル化される日も近いのではないでしょうか.私のラボでも,最近はデジタル画像が模型と一緒に添付されてくる例が多くなり,補綴物製作時の貴重な資料として活用しています.
 しかし,アナログのスライド写真とデジタル写真では特性に種々の違いがあると言われており,歯科医師,歯科技工士ともにその点を理解していなければ,情報伝達上,問題が発生するのではないかと危惧していました.その意味から,今回の特集は私にとってたいへんタイムリーで有意義な企画でした.
 以前は,技工指示書に単色のシェード番号のみの指示が多く,そのシェードガイドの色調を正確に再現することを中心に補綴物を製作していれば問題はありませんでした.しかし近年は,審美に対する患者さんの意識が高くなったためか,従来の方法では満足感を得られなくなってきたように感じます.したがって,往復に1〜2時間かかる遠方でも歯科医院に出向き,実際に患者さんと接し,顔貌,歯牙,歯列の状態などを詳細に手帳に書き込み,スライドや模型から得られる情報とともに補綴物を製作することが増えてきました.しかし,スライドは出向いたその日にいただけるわけではなく,条件のよい都内でも現像に3日,現像所が休みの土・日が間に入ると5日の日数を要し,時間に無駄が生じていました.現像所が少ない地方ではさらに日数がかかるのではないでしょうか.デジタルデータによる情報伝達は,上記の状況を改善し,即時性,伝達の容易さ,保存の利便性にきわめて優れていると思います.
 岡田論文で述べられているように,デジタル写真も初期の頃は画質が低く,参考程度にするくらいでしたが,最近では600万画素以上になり,細部の表現性も色調再現性も向上し,カメラの性能自体に問題はなくなりました.しかし,診療所とラボとの間での情報伝達を考えた場合,今回の特集で指摘されているように注意点があります.その点で,岡田論文のカラーマネジメントやファイル形式の問題は,たいへん勉強になりました.
 デジタル画像の撮影にあたっては,私が技工を担当している診療所の先生方ともさまざまな工夫を重ねてきました.情報の質や量が不適切,不十分なら,参考資料としての価値は半減してしまいます.露出や撮影方向の問題,シェードガイドの取り込み方法,基本シェード以外に前後のシェードも取り込むなど撮影技術上の条件以外にも,術前の状態,プロビジョナルにおける歯牙の状態,スマイルライン,アンテリアガイダンスなどの情報の“量”も重要です.亀田論文にある「まさに情報の量が質を生む」という言葉には感銘を受けました.また,カメラの調整やモニター,プロジェクター,印刷の問題を含め,木原論文,亀田論文から多くを学ぶことができました.
 歯科技工が分業化された現在,私たち歯科技工士に求められるのは,患者さんから高い満足を得られる補綴治療の価値観を歯科医師の先生と共有し,その役割を果たすことではないでしょうか.デジタル化による情報伝達は,そのことに大きく寄与するものと考えます.




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4月号特集「経験則とエビデンス」を読んで
(『日本歯科評論(Dental Review)』5月号に掲載された内容を転載したものです.)

かとうたかふみ
加藤隆史

 「なぜこの治療方法がよいのか?」「その治療法はどのようなしくみで作用するのか?」――これは私が大学で臨床実習に励んでいた頃に感じた素朴な疑問である.当時の私に知識と経験がなかったことはいうまでもないが,これらの疑問も「勉強すればある程度解決」し,術式も「数をこなせばできるだろう」くらいに考えていたものである.しかし実際には,それほど単純ではなかった.
 本特集は,主観的「経験」と客観的「エビデンス」を臨床で有効利用するという,EBMの本質であると同時に,最も難しい点に挑戦している好企画といえよう.
 湯浅論文は,経験と科学的根拠のバランスのとり方を,両者の利点と欠点を挙げながらわかりやすく解説している.経験には「個人が経験する」ものと,他人の経験を学術発表等を通して「擬似的に経験する」ものとがある.一方,科学的根拠とは「経験」を集積し,共通言語によって客観的に提示された情報といえる.そうすると,異なってみえる「経験」と「エビデンス」との間に道筋ができてくる.
 臨床の場では,1つの問題に対する経験則とエビデンスの内容や量について判断する能力を持っていないと,EBMをうまく活用できない.この点が,EBMが難しいとされる所以ではなかろうか.しかもEBMには,何かの術式を学ぶかのような「マニュアル」や「型」を憶えるのではなく,荒川・窪木論文はじめ他の執筆者も述べているように,問題発見解決能力やそのプロセスを経ようとする意識,倫理観が要求される.
 この問題発見と解決を指向する姿勢が重要なことは,比較的エビデンスが少ないか,もしくは存在しない臨床問題についても同様であることを,高野論文,吉田論文,石川・木野ほか論文,塚越論文は示している.
 笹野ほか論文では,臨床で一般的に遭遇する歯髄の保存と除去の問題について解説している.恥ずかしながら私には,学生時代に講義を十分理解できないまま,テスト向けに「不可逆性歯髄炎は自発痛,温熱痛,打診痛,可逆性歯髄炎はその逆」という乱暴な暗記をし,口頭試問で痛い目にあった記憶がある.よく考えると,臨床経験のない学生と臨床経験を持つ教員には大きなギャップがあったわけで,荒川・窪木論文にあるように,学生教育でエビデンスを正しく伝えることは大変な苦労であることが察せられる.
 杉崎論文は難解な統計の利点と欠点がわかりやすく解説されている.「経験は大切だが事象を観察し記録することが重要で臨床研究につながる」という結びの言葉には大賛成であるが,できうるなら,私はさらに以下の一文を付け加えさせていただきたい.「客観的に観察し記録され,適切に分析された臨床研究結果は,臨床科学と生命科学の架け橋となりうる」と.
 EBMという視点は臨床家のためだけにあるのではない.「科学」というルールの下で得た情報は,より基礎的な深い研究にもつながるものである.「基礎研究は難しいだけで役に立たない」と嘆く臨床の先生方に特にご理解いただきたいことは,「科学」には「単なる経験」を説明できない「限界」がある,ということである.したがって,臨床と研究間のフィードバックを円滑にするためにも,臨床家や臨床研究に携わる先生方には「EBMを有効に使う」だけではなく,「将来のためにEBMを蓄積する」責任が伴うことを認識していただきたいと思う.ここまで長々と書いたが,これが臨床家でない私が最も痛切に感じたことである.




読後感


4月号特集「経験則とエビデンス」を読んで
(『日本歯科評論(Dental Review)』5月号に掲載された内容を転載したものです.)

きたむらのぶたか
北村信隆

 ある疾患を診断し,その治療法を選択する等の医学的判断のための方法論は,それが患者の生命や健康に直接影響するだけに極めて重要なテーマである.
 1人1人の臨床医が個別に経験する疾病という現象を理解するために,元々は社会(state)全体の現勢をとらえるための方法論として起こった統計学(statistics)を応用しようというアイデアが生まれ,後の疫学へと発展したという.それが近年になって,高度な生物統計学を駆使した「疫学」というものが日常の臨床と乖離してきたとの反省から,「臨床」という医学の原点にもう一度立ち戻るために「臨床疫学」が提唱され,EBMのための方法論として紹介された,とのことである.
 しかし,エビデンスや批判的吟味などというEBMに関するキーワードが普及するに従って,そのEBM自身でさえ日常の臨床と乖離しているのではないか,との批判的見方もなされている.このことは,誤解を伴った見方であるにせよ,実に皮肉な現象といえる.
 本誌4月号の特集「経験則とエビデンス」は,本来は日常の臨床経験と最も密接に関連すべきであるはずのEBMに対する鋭い問題提起と感じた.また執筆陣も,歯科界におけるEBM潮流の旗手ともいえる比較的若い世代の先生から,臨床経験豊富な第一線の実践的臨床医にいたるまで実に多彩な顔ぶれであり,興味深かった.
 まず巻頭の湯浅論文において,臨床経験とEBMに対する誤解が明快に解き明かされる.そこでは,頭に記憶されているままの経験と,ある一定の手続きに従い,いわば理論的に記録され集積された経験とでは,同じ「経験」でも全く異なる,ということが丹念に綴られている.
 そして,前者の場合はたとえ多くの症例数の経験であっても危険性が高く,逆に後者の経験はたとえ少数例であってもエビデンスとしての利用価値が高い,すなわち社会的還元率が高いということを示唆している.こうしたことは,日常臨床に携わる個々の歯科医師にとって警鐘であると同時に,大きな励みになりうると思われた.
 次いで「歯髄の保存・抜髄」「歯性上顎洞炎の原因歯の抜歯・非抜歯」等々,今日の歯科臨床において医学的判断をする上で議論の多いテーマに関し,問題解決へ向けた意志決定までの具体的プロセスが紹介されている.いずれのテーマに関しても,医学領域の不確実性ならびにエビデンスと経験との相互補完の重要性が指摘されていた.さらに,最終的な意志決定のためには,患者の権利や価値観ならびに裁量権を有する医師と患者との信頼関係の重要性が強調され,EBMを実践していく臨床医たちの真摯な姿勢が強く感じられた.
 特集の締め括りとして,巻頭の湯浅論文と対比するように,「観察された経験」の重要性を説く杉崎論文が配置されている.杉崎論文では,湯浅論文で述べられている理論的に記述された経験を,さらに「事実」として検証するために必要とされるポイントを,設問形式でわかりやすく解説している.ここで述べられていることは,臨床医であれば誰しも気づかれることではないだろうか.
 最後に,要望を述べさせていただければ,本特集のトビラ文中にあった「数値化できない,あるいは確かめにくい臨床事象」について,それに対する質的および量的アプローチ法に関する最近の考え方についても,ぜひご紹介していただきたかった.この件については,また別の機会に取り上げていただきたいと思っている.