読後感


4月号特集「経験則とエビデンス」を読んで
(『日本歯科評論(Dental Review)』5月号に掲載された内容を転載したものです.)

かとうたかふみ
加藤隆史

 「なぜこの治療方法がよいのか?」「その治療法はどのようなしくみで作用するのか?」――これは私が大学で臨床実習に励んでいた頃に感じた素朴な疑問である.当時の私に知識と経験がなかったことはいうまでもないが,これらの疑問も「勉強すればある程度解決」し,術式も「数をこなせばできるだろう」くらいに考えていたものである.しかし実際には,それほど単純ではなかった.
 本特集は,主観的「経験」と客観的「エビデンス」を臨床で有効利用するという,EBMの本質であると同時に,最も難しい点に挑戦している好企画といえよう.
 湯浅論文は,経験と科学的根拠のバランスのとり方を,両者の利点と欠点を挙げながらわかりやすく解説している.経験には「個人が経験する」ものと,他人の経験を学術発表等を通して「擬似的に経験する」ものとがある.一方,科学的根拠とは「経験」を集積し,共通言語によって客観的に提示された情報といえる.そうすると,異なってみえる「経験」と「エビデンス」との間に道筋ができてくる.
 臨床の場では,1つの問題に対する経験則とエビデンスの内容や量について判断する能力を持っていないと,EBMをうまく活用できない.この点が,EBMが難しいとされる所以ではなかろうか.しかもEBMには,何かの術式を学ぶかのような「マニュアル」や「型」を憶えるのではなく,荒川・窪木論文はじめ他の執筆者も述べているように,問題発見解決能力やそのプロセスを経ようとする意識,倫理観が要求される.
 この問題発見と解決を指向する姿勢が重要なことは,比較的エビデンスが少ないか,もしくは存在しない臨床問題についても同様であることを,高野論文,吉田論文,石川・木野ほか論文,塚越論文は示している.
 笹野ほか論文では,臨床で一般的に遭遇する歯髄の保存と除去の問題について解説している.恥ずかしながら私には,学生時代に講義を十分理解できないまま,テスト向けに「不可逆性歯髄炎は自発痛,温熱痛,打診痛,可逆性歯髄炎はその逆」という乱暴な暗記をし,口頭試問で痛い目にあった記憶がある.よく考えると,臨床経験のない学生と臨床経験を持つ教員には大きなギャップがあったわけで,荒川・窪木論文にあるように,学生教育でエビデンスを正しく伝えることは大変な苦労であることが察せられる.
 杉崎論文は難解な統計の利点と欠点がわかりやすく解説されている.「経験は大切だが事象を観察し記録することが重要で臨床研究につながる」という結びの言葉には大賛成であるが,できうるなら,私はさらに以下の一文を付け加えさせていただきたい.「客観的に観察し記録され,適切に分析された臨床研究結果は,臨床科学と生命科学の架け橋となりうる」と.
 EBMという視点は臨床家のためだけにあるのではない.「科学」というルールの下で得た情報は,より基礎的な深い研究にもつながるものである.「基礎研究は難しいだけで役に立たない」と嘆く臨床の先生方に特にご理解いただきたいことは,「科学」には「単なる経験」を説明できない「限界」がある,ということである.したがって,臨床と研究間のフィードバックを円滑にするためにも,臨床家や臨床研究に携わる先生方には「EBMを有効に使う」だけではなく,「将来のためにEBMを蓄積する」責任が伴うことを認識していただきたいと思う.ここまで長々と書いたが,これが臨床家でない私が最も痛切に感じたことである.




読後感


4月号特集「経験則とエビデンス」を読んで
(『日本歯科評論(Dental Review)』5月号に掲載された内容を転載したものです.)

きたむらのぶたか
北村信隆

 ある疾患を診断し,その治療法を選択する等の医学的判断のための方法論は,それが患者の生命や健康に直接影響するだけに極めて重要なテーマである.
 1人1人の臨床医が個別に経験する疾病という現象を理解するために,元々は社会(state)全体の現勢をとらえるための方法論として起こった統計学(statistics)を応用しようというアイデアが生まれ,後の疫学へと発展したという.それが近年になって,高度な生物統計学を駆使した「疫学」というものが日常の臨床と乖離してきたとの反省から,「臨床」という医学の原点にもう一度立ち戻るために「臨床疫学」が提唱され,EBMのための方法論として紹介された,とのことである.
 しかし,エビデンスや批判的吟味などというEBMに関するキーワードが普及するに従って,そのEBM自身でさえ日常の臨床と乖離しているのではないか,との批判的見方もなされている.このことは,誤解を伴った見方であるにせよ,実に皮肉な現象といえる.
 本誌4月号の特集「経験則とエビデンス」は,本来は日常の臨床経験と最も密接に関連すべきであるはずのEBMに対する鋭い問題提起と感じた.また執筆陣も,歯科界におけるEBM潮流の旗手ともいえる比較的若い世代の先生から,臨床経験豊富な第一線の実践的臨床医にいたるまで実に多彩な顔ぶれであり,興味深かった.
 まず巻頭の湯浅論文において,臨床経験とEBMに対する誤解が明快に解き明かされる.そこでは,頭に記憶されているままの経験と,ある一定の手続きに従い,いわば理論的に記録され集積された経験とでは,同じ「経験」でも全く異なる,ということが丹念に綴られている.
 そして,前者の場合はたとえ多くの症例数の経験であっても危険性が高く,逆に後者の経験はたとえ少数例であってもエビデンスとしての利用価値が高い,すなわち社会的還元率が高いということを示唆している.こうしたことは,日常臨床に携わる個々の歯科医師にとって警鐘であると同時に,大きな励みになりうると思われた.
 次いで「歯髄の保存・抜髄」「歯性上顎洞炎の原因歯の抜歯・非抜歯」等々,今日の歯科臨床において医学的判断をする上で議論の多いテーマに関し,問題解決へ向けた意志決定までの具体的プロセスが紹介されている.いずれのテーマに関しても,医学領域の不確実性ならびにエビデンスと経験との相互補完の重要性が指摘されていた.さらに,最終的な意志決定のためには,患者の権利や価値観ならびに裁量権を有する医師と患者との信頼関係の重要性が強調され,EBMを実践していく臨床医たちの真摯な姿勢が強く感じられた.
 特集の締め括りとして,巻頭の湯浅論文と対比するように,「観察された経験」の重要性を説く杉崎論文が配置されている.杉崎論文では,湯浅論文で述べられている理論的に記述された経験を,さらに「事実」として検証するために必要とされるポイントを,設問形式でわかりやすく解説している.ここで述べられていることは,臨床医であれば誰しも気づかれることではないだろうか.
 最後に,要望を述べさせていただければ,本特集のトビラ文中にあった「数値化できない,あるいは確かめにくい臨床事象」について,それに対する質的および量的アプローチ法に関する最近の考え方についても,ぜひご紹介していただきたかった.この件については,また別の機会に取り上げていただきたいと思っている.




読後感


3月号特集「LSTR療法の臨床II――3Mix-MP法のさまざまな臨床応用とその成果」を読んで
(『日本歯科評論(Dental Review)』4月号に掲載された内容を転載したものです.)

わたせたかひこ
渡瀬孝彦

渡瀬歯科医院
〒245-0016 神奈川県横浜市泉区和泉町1396

 LSTR療法は,今まで歯科治療で行われてきた「削って・つめる」外科的療法に対して,病巣組織の細菌を殺菌することにより,組織を自然修復させるという内科的療法であり,新しいコンセプトの療法として注目を集めています.
 昨年の本誌6月号「LSTR療法の臨床」に続き,本特集は,第2回LSTR研究会での特別講演,テーブルクリニックやポスターセッションの発表を基にしたものです.
 特に私が興味を持ったところは,星野先生・宅重先生の論文で,歯髄炎で自覚症状が見られるものや歯髄腔が開放している場合でも,抜髄が第一選択ではなく,3Mix-MPにより病巣無菌化処置を行うとし,また1本の歯でも複根管の場合には,根管により,断髄,抜髄と処置を異にすることもある,と述べている点です.
 さらに臨床応用としてLSTR研究会の先生方が発表した中では,鈴木先生の論文で,代替3MixとNew Apatite Liner Type IIによる覆髄を行うようになってからの6年半の間に治療した症例を追跡した結果,覆髄処置後に急性症状が再発した場合,再覆髄で助かるケースが多い,というところです.また,他の論文にも乳歯の歯内療法,リーマー破折の対応,垂直性歯根破折歯の保存,歯周病治療への応用など,各分野での可能性が示唆されていて,大変参考になりました.
 私は以前からLSTR療法には関心があり,数年前から自分の臨床に取り入れてきました.初めは文献を見ながら自己流で使っていましたが,思うように効果が出ず,調剤したものを冷蔵庫に入れたまま1週間以上経ってしまい,使う時にあわてて作り直すというのが現状でした.
 一昨年,宅重先生の3Mix-MP法のセミナーを受講させていただき,今までの自分の術式に不備な点や誤りがあったことがわかりました.薬品の調合と保管・管理の仕方,3Mix-MPの標準稠度,う窩へのEDTA・ADゲルの処理法,Fuji IX GPによる密封充填,根管治療中の確実な仮封など,どれひとつ欠けてもよい結果が得られないことを痛感しました.
 その後,セミナーで明らかとなった問題点を改善し,臨床で3Mix-MPをルーティンで使うようになって,予後の成績が以前に比較してずっと向上したように思います.今まではとかく,新しい理論や療法が発表されると,懐疑的な目で見て臨床応用する前に否定してしまったり,多大な期待を持ち理論や術式を十分理解しないうちに臨床に取り入れ,結果が出ないとやめてしまうことがあったのではないかと反省しています.
 もうひとつ,LSTR療法の臨床で重要なことは,患者に歯髄保存の重要性を理解してもらい,術後の経過や痛みの程度を十分説明することです.特に覆髄処置後再発し,急性症状が出た場合は,説明不十分だと患者に不安感を持たせ,疼痛を早く取り除くために抜髄処置を行ってしまうこともあると思います.そのようなことにならないためにも十分なインフォームド・コンセントが必要であり,それが予後成績にも影響する大切なことだと実感しています.
 本特集は,LSTR療法をこれから導入される先生や,実際に臨床で使われている先生方にとっても,基本事項の確認と応用範囲を広げるための参考になると思います.私も本特集を読み,自分の臨床を再確認するよい機会となりました.
 最後に,LSTR研究会の会員の先生方が,LSTR 3Mix-MP法の症例数と予後の年数をさらに増し,新しい分野での臨床応用例も発表していただければ幸いと存じます.




読後感


3月号特集「LSTR療法の臨床II――3Mix-MP法のさまざまな臨床応用とその成果」を読んで
(『日本歯科評論(Dental Review)』4月号に掲載された内容を転載したものです.)

たにもとこうじ
谷本幸司

谷本歯科クリニック
〒104-0033 東京都中央区新川2-24-4長谷川ビル2F

 麻酔下で軟化象牙質除去中に露髄し緊急的に抜髄となる.16年前の卒直後のころ,毎日のように延々と繰り返されていた工程だ.そこからおびただしい数の根管治療が発生した.その予後はどうなったのだろうか.当時は,不可避な事と思い,何の疑問も持たずに日々の処置に追われた.しかしながら,「何も自覚症状がない歯に手をつけたのに,そこまでしなくてはならないのか?」と訝る患者さんもいた.
 いつしか自分もその考えに賛同するようになった.
 何とかならないかと,直接覆髄なるものを行うようになる.術式も稚拙ではあっただろうが結果は散々なもので,続けて行う気にはなれなかった.術後痛みが出たり,うまく経過しているようにみえても1〜2年で抜髄や感染根管処置が必要になる歯も多かった.
 その後は,露髄させずに残した軟化象牙質を水酸化カルシウムで硬化させるIPC法を行うようになる.露髄させないというのは大変重要な事で,歯髄を残せる歯がずいぶん増えた.露髄の危険を回避するために無麻酔でカリエスを除去する術式は,患者さんの説得も要したが,自分自身にも意識改革が必要だった.
 ただし,この方法は期間がかかることが欠点で,最終修復物を装着できるまでに数カ月かかった.転勤などで長期通院の難しい方が多いオフィス街の立地条件にあっては選択できない場合もあった.
 そんなこともあり,LSTR療法には興味を持っていた.1999年に,本特集の著者でもある星野・宅重先生らによる3Mix-MP法の実習付き講習を受講する機会に恵まれた.この講習では主として薬剤の取り扱い,使用法とセメントによる辺縁封鎖が重要と教わった.また,まずは,Save Pulp法から試してみるようにとアドバイスを受けた.
 さっそく器材と薬剤を購入し,臨床応用を開始して4年になる.感想としては,効果的な治療法で抜髄になる歯を大幅に減らすことができ,手応えを感じている.
 今回の特集を拝見するにあたり,他の先生方の体験談を目にするのが楽しみであったし,他医院での治療成績も気になるところであった.また,自分ではまだ行っていない歯内療法への応用例が勉強できるのではないかと期待していた.
 特集を一見してまず17題ものボリュームに驚いた.第2回LSTR研究会の活気が伝わってくるようであった.内容では,基本的な事項が詳述されており,その重要性を再認識させられた.成功のポイントとして,講習会でも何度も強調されていた事項である.
 また,再治療になった例など参考になる体験談が示され,陳旧性の歯根破折への応用例など,思ってもみなかった応用法を知ることができた.歯周治療においても困難ながら可能性が示された.歯内療法においては,つい従来の治療の概念にとらわれた目でみると,理解できにくい部分もある.しかしながら,余計なことを行わずに治癒に導けるのならば有意義なことなので,今後自分でもチャレンジしていきたい課題だ.
 新しい治療法であるので,今後も基本的事項の確認やさまざまな試み,経験談や情報交換の場が必要で,ぜひ生の情報に接してみたいと感じた.
 今回の特集を拝見して,今年開催予定の研究会に引き付けられる気持ちになったのは,著者らの意図どおりのことと思う.ぜひ仲間と連れ立って参加したいものだ.