![]() 9月号特集「臨床でちょっと迷うこと,困ること(II)」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』10月号に掲載された内容を転載したものです.) すずきひでのり 鈴木秀典 日々,治療を繰り返していると,ある疾患や症状に対する治療行為や,患者さんへの言葉が,いい意味でも悪い意味でも,ワンパターン化しているのではないかと感じます.自分が勉強したことについては,あれこれ考えますが,「ちょっと迷うことや困ること」にぶつかると,わからないなりの,苦手ななりの,切り抜け方を覚えてしまっているのかなと,思える時があります. 自分の得意とする領域の仕事を,熟練した技術と知識で提供することは,患者さんの安心感と信頼感を生みます.歯科臨床全般においてそうありたいと願っておりますが,現実はなかなか追いついてはくれません――9月号の特集「臨床でちょっと迷うこと,困ること(II)」を一読後,上記のような感想を持ちました. 本特集は,一般臨床医が臨床を行う中でちょっと疑問に思うことをランダムに取り上げたものであり,おもしろい試みであると思いました.その中で最も興味深く読んだ論文について,以下に感想を記します.
私の乏しい臨床経験では,この症状は中高年の女性に多く,ほとんどの方が過去の歯科治療に原因の一端があると感じられているようで,ご自身の治療遍歴を語られる傾向にあります.また,「腕のいい歯科医師の治療」を受けることができれば違和感が解消するものと信じて歯科医院を転々とされ,救いを求めているように思えます.舌感不良を訴えられることや,歯軸の傾斜を訴えられることも多いと感じています. 私はこれらの患者さんを“かみあわせ系のややこしい患者さん”とグループ化していました.やはり私も狂人扱いしていたうちの1人でした.また,過敏なだけだといって突き放すのも冷ややかだし,1つでも願いに応えてあげたいという想いから,訴える部位の補綴を再製する約束を交わし,プロビジョナルを装着しては「2,3週間様子をみてみましょう」などと根拠のない経過観察をすることもありました.私がやればうまくいくかもしれないと心の底で思っているのでしょうか,悪い意味でのパターンにはまってしまっているのです.木野先生の論文中の「口腔感覚の過敏化」した患者さんへの対応は,患者心理を非常にうまくついており,かつデリケートに扱われておられ,大変参考になりました. EBMが定着してきたとはいえ,限られた時間の中では,なかなか膨大な論文に目を通せません.私は自分の関心のある分野にだけでも精通しておきたいと努力するのが精一杯です.EBMの実践は,エビデンスを利用するステップが最も難しいと思います.すべての人に当てはめることができるほど,歯科の臨床エビデンスは集積していませんし,たとえうまく使える臨床疫学データが手元にあったとしても,受け取る患者さんによって反応は様々です. それぞれの分野に長けた先生方が,そうして培った実際の臨床第一線での間違いのない“パターン”をご教示いただければ,われわれ現場の臨床医にとって非常に有益です.臨床マニュアルというものはありえないと信じますが,専門家による現時点で私たちが真似てよいガイドラインを今後も絶えず公開していただくことを切に望みます. |
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![]() 9月号特集「臨床でちょっと迷うこと,困ること(II)」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』10月号に掲載された内容を転載したものです.) あおき けん 青木 健 本特集の中で先生方がインフォームドコンセントの重要性を強く説かれています.周知のとおり「説明と同意」という簡単な訳語の裏には,わかりやすい「説明」,病状・治療内容とその選択肢・予後などについての十分な「理解」と「納得」,誰からも強要されない自発的な「同意」という基本的概念が隠れています.限られた診療時間内でなんとかこれらを実践すべく奮闘している次第ですが,“はたしてどうだろうか?”と,まずは考えさせらました.
現代社会においてうつ病の発症率は全人口の約5%といわれ,その他のうつ状態も含めると15〜20%の人がなんらかの形でうつ状態に悩んでいると推定されています.適切な治療を受けないと慢性化し,生活自体に多大な障害が生じる恐い病気であり,今後このような患者さんへの対応は避けては通れないと思われます. 「咬合の違和感」では,診査・診断からこのような患者さんに対するインフォームドコンセントに至るまでわかりやすくまとめられており,とても勉強になります.いずれにしても根底に流れているのは,論文末尾の「まとめ」で述べられている“充填や補綴処置直後以外であれば,咬合の違和感を改善するうえで咬合調整は必要ない”“これの実施には慎重を期すべきである”というところにあるように思います.
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![]() 8月号特集「エビデンスに基づいた歯周疾患の治療と予知への対応−唾液を用いた臨床検査の可能性について」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』9月号に掲載された内容を転載したものです.) はこざきもりお さとう たもつ 箱崎守男 佐藤 保 歯科における臨床検査,「歯科臨床検査」の可能性が大きく広がってきたことを,まず実感する.細菌学のみならず,生化学など多様な基礎医学が治療や予防の臨床につながり,歯科臨床検査が確立されることは,われわれ臨床歯科医にとって有効なツールになることは言うまでもない.最終的には受診者の有益性にもつながることであろうが,そこに至るには幾つかの課題もあるように思えるのも事実である. 医療から保健に目を向ければ,歯科臨床検査が活用されることは画期的と言える.一方で,現状を省みれば,成人検診における歯周病検診を主とした成人歯科健診受診の実情が低率であることは周知の事実である.この現状を歯科臨床検査だけで変えられるのか,ここにも幾つかの,かつ大きな課題があることを確認しておきたい.疾病の早期発見・早期治療の時代から,疾病の危険性の把握や予防管理の時代へとシフトすることを,どれだけ多くの歯科関係者が確認しているか共有できているか,その実証を歯科医師会としてもすべきであることを感じている. 視点を医科における臨床検査に据えれば,名称はどうあれ,全国のすべての医学部には臨床検査の講座があり,3000人以上の学会員を中心に医学教育,臨床,研究が進められている.教育・研究・臨床のみならず現在の地域保健,成人健診において臨床検査は欠かせない.長い歴史によって確立してきた医科の臨床検査と同じ位置を,その緒に就いたばかりの歯科臨床検査が占めるためには,医科の臨床検査に学ぶと共に,想定される課題を克服するためのデザインや,一般臨床医に普及するためのガイドラインが必要となる. そこに欠かせないのが,健康と病気の「閾値」,もしくは健常の「標準値」である.歴史の浅い歯科臨床検査においては,暫定的に標準値を設定してもよいと思う.今回の特集では,緻密な検証によってそれが成されたことを感じている.ただし,暫定的基準値を修正する,より精度と確度の高い基準値に改変できるネットワーク機構の整備によって担保されることが前提条件になることから,その基盤整備は重要だと考える. 臨床検査の基礎となる病因論についてみれば,う蝕原因菌の臨床検査は有効であるとの報告があるのに対し,歯周病原因菌を検出する検査と歯周病との関連は,現時点では明確でなかった.このことは,「病因論の説明を臨床検査によって説明することはできない」と換言されかねない.細菌検査以外の手法を取り入れた臨床検査を導入することを検討する必要性があるか,細菌検査によってどこまで病因論を説明できるか,臨床歯科医として説明責任を有する見地からも,歯科保健における病因説明の必要性からも,早急な検討が待たれる.問診・アンケート等によって補完される調査・研究の結果に,大きな可能性を感じている. 歯科臨床検査は,病態の提示,疾病リスクの検出,予防管理の指標と,これからの歯科医療に多くの可能性を示してくれると思う.しかも,これら3つのどのフェイズでも「予知性」は非常に重要なキーワードである.したがって,予知性を念頭に置いた調査研究の今後の進展が待たれるところである. 臨床歯科医としても,地域医療に携わる歯科医師会としても,行政と学術団体と共に,これらの調査,研究に協力しながら,自らのレベル向上と地域歯科保健医療の向上に役立てたい,との思いを新たにした. |
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![]() 8月号特集「エビデンスに基づいた歯周疾患の治療と予知への対応−唾液を用いた臨床検査の可能性について」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』9月号に掲載された内容を転載したものです.) つげしんぺい 柘植紳平 今回の特集は,まさに歯科界待望のシステム構築になくてはならないものである,と期待に胸を膨らませて読ませていただいた. 私たち開業医は「かかりつけ歯科医機能」を果たすために集団健診や健康フェスティバル等における健康相談に出務する機会が多いが,私自身,非常に不満に思っていることがあった.それは健診や相談のシステムである.医科では血液検査,血圧測定,心電図検査などによってリスクスクリーニングされ,ハイリスク者か,あるいは問題を抱える者のみが医師の相談を受けるシステムが確立されている. それに対して,歯科においては,いきなり歯科医師が全住民の口腔内を診査し,視診と触診を行う.つまりリスクスクリーニングの段階を飛ばして,いきなり確定診断しているのである.「むし歯」「歯周病」という歯科の二大疾患の診断において,その病状を目で見ることが可能であるが故か,過去においてはケーススクリーニングに終始する結果となっていた. 医科においてはリスクスクリーニングのためのEBMは,血液検査,尿検査等の各種検査においてすでに確立され,広く活用されている.ところが歯科においてのEBMは唾液検査では,私の知る限り,カリエスリスクの面でわずかに唾液1ml中のSM菌数と総連鎖球菌中のSM菌の比率についての報告があるにすぎない. また,現状を振り返ってみると,一部の開業医の間に普及しているリスクスクリーニングのための簡易唾液検査には2つの問題がある.1つは菌数の測定値が非常にラフなため(最低識別値10万個程度),ハイリスクかどうかの評価に耐えうるレベル(最低識別値1万個)に達していない.すなわちエビデンスが取れないことである.もう1つの問題は,現在の簡易システムは院内で細菌培養を行うことである.病院における院内感染が社会問題となっている昨今,早急に改善すべき事柄である. 今回の特集を読んで現場の臨床医の立場から,リスクスクリーニングのシステム構築のために第一に検討して欲しい問題は,現場での臨床医や患者の負担(時間的,肉体的,費用的)の軽減である.今回発表された先生方はほとんどが研究者として活躍されている.そのため,現場と掛け離れたシステムとなる危惧がある.EBMの確立はもちろんであるが,システム構築の際に,極力「時間は短く」「苦痛を与えず」「費用が安くなる」よう,考慮して欲しい. その次に,パブリックヘルスにおける要健診者は歯科医院を受診する率(受療行動)がきわめて低いことへの対策を考慮して欲しい.今の集団健診のあり方については賛否両論あるが,リスクスクリーニングの手法が確立されれば非常に意義のある事業として社会に役立つであろう.しかし,健診を受診してもその後の受療行動が低ければ社会的な意義も低下することになる. 歯科におけるヘルスは,セルフケアと定期的なプロフェッショナルケアで成り立つが,効果的なリスクスクリーニングシステムの構築は国民の健康の保持増進に多大な貢献をするであろうことは間違いない.その日を間近に感じさせる特集であった. |
![]() 7月号特集「総義歯難症例への対応」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』9月号に掲載された内容を転載したものです.) まつした ひろし 松下 寛 私は日常的に義歯,特に総義歯医療に関わる機会が比較的多いのですが,最近は高齢の患者さんの診察や在宅歯科に携わる機会が少しずつ増えてきました.それに伴って処置の結果があまり思わしくない,いわば難症例に遭遇する比率も高くなってきたように感じられます.自分が行ってきた診断方法や術式の再検討を行いながら,より有効なアプローチはないだろうかと模索する日々が続いています.今回の特集は,そんな私のささやかな思いに応えてくれるものであり,期待をもって拝読しました. 染谷先生は冒頭論文で,基本に立ち戻って臨床を行うことの重要性を強調されていました.自分自身に当てはめてみてもこれは至極当然のことで,うまくいかない症例のかなりの部分は,心ならずも基本をないがしろにしたことに起因する場合が少なからずあるようです. 祇園白先生と早川先生は,染谷先生の問題提起を受けて咬合採得および印象採得についての基本的な注意点を丁寧に述べられていました.一見困難さを感じさせる症例でも,問題点を的確に把握して対応すれば解決の糸口が見出せることを両先生は具体的な手法で解説していました.それらの対応方法の中で,特に術者と患者間のコミュニケーションや術者のリラックスといった,いわばソフト面での因子の重要性を説かれていたのは印象的でした.総義歯医療においては狭義の技術的側面ばかりでなく,“雰囲気”とか“言葉かけ”といったソフト的な面がその成否を左右することを文章で確認でき,わが意を得たりとの思いがしました. 最後に稲葉先生は,上下顎同時印象・咬合採得法を基本にした斬新な技法を紹介されていました.口腔周囲の機能障害をきたしていると考えられる症例に積極的に対応されている姿勢には,敬意を表さずにいられません.誌面からも,各種の機能障害を持つ方への対処の経験が豊富であることをうかがわせる記述が随所に見られました. 私自身も,これからの時代における本当の難症例とは口腔機能障害を抱えている方々の総義歯医療ではないかと思っています.パーキンソン病,脳血管障害による口腔周囲の麻痺,あるいは嚥下障害を抱えている場合などでしょうか.それらの症例に対し,自分なりに努力して対応してきましたが,結果は芳しくなかったというのが正直な感触です. これらの症例に私自身が携わってきて感じたことは,従来の総義歯学の知識や技術に加え,全身疾患に関する基本的な知識や嚥下の機能,リハビリの知識を新たに勉強し直す必要性でした.そして口腔周囲の機能回復だけに視野を限定せず,全身の機能回復の一端として総義歯医療を捉え,必要な場面では内科主治医,ケアマネジャー,リハビリ担当者などと一緒に治療方針を立案することが重要であると考えざるをえなくなりました. 以上のことを考えると,総義歯医療は決して完成され尽くした学問ではなく,新たな社会情勢に応じ,医療としての社会的必要性も学問的・技術的な面での展開もさらに求められるようになるのではないでしょうか.ただ単に咀嚼回復のための道具ではなく,口腔機能リハビリの重要な手法として総義歯が積極的に位置づけられることもありえるかもしれません. 総義歯について新たな発展の方向性を示してくれたものとして,今回の特集は意義のあるものだと感じました.今後とも,諸先生方のご活躍を祈ってやみません. |
![]() 7月号論文「ストレス発散機能としてのブラキシズムと歯科疾患予防のための咬合学」を読んで (『日本歯科評論(Dental Review)』9月号に掲載された内容を転載したものです.) おかなが さとる 岡永 覚 私はブラキシズムの治療に取り組んでいる開業医です.大学附属病院と比べて症例数は少ないのですが,当院を訪れる患者さんの3人に1人はブラキシズムに関する何らかの問題を抱えています.そのような人たちを診ていると,やはり“ブラキシズムと咬合”について考えさせられます.今回の論文は,“ブラキシズムと咬合”について考える良い機会となりました. ブラキシズムの患者さんを多く診ていると,どうしても睡眠ブラキシズムの問題と直面します.睡眠ブラキシズムにより,顎関節症,歯周病,咬合性外傷など様々なトラブルが引き起こされます.そのような患者さんに対して就寝時のスプリント装着は確かに有効ですが,どうもそれだけでは良くならないケースが多いのです. 予後の良くない患者さんをよく調べてみると,何らかの心身医学的な問題を抱えていることが多く,交流分析の結果も良くありません.歯科医は“ブラキシズムに対する心身医学的アプローチの重要性”を再認識するべきです.従来の「ストレスによりブラキシズムが起こるから,暗示療法でブラキシズムを止める」というスタンスから,「カウンセリングや自律訓練法などの心理療法により,ストレスをマネージメントしてリラクゼーションを図る」というスタンスへの脱皮が必要なのではないでしょうか. このような観点に立つと,「咬合医学の提言」にあるような“医科と歯科を統合した健康医学としての咬合医学の確立”が求められるようになります.日本顎咬合学会認定医である私としては言いにくいのですが,咬合器云々の咬合医学から脱却すべきですし,また,もっと広い視点から咬合を考えねばならないでしょう.咬合器は骨に歯が付いているだけです.筋肉がない状態で顎運動をどこまで再現できるでしょうか. 例えば“ブラキシズム運動時に臼歯部が接触する咬合”の患者さんを咬合器で調べてみると,確かに臼歯部が接触する咬合様式として診断されるでしょう.しかし,その人にスプリントを装着して理学療法(カイロプラクティック,PNFなど)を行っていくと,往々にして咬合様式が変わることが少なくないのです.咀嚼筋群の異常緊張が緩和されると,顎位が自然と変わってきます. したがって,「ブラキシズム運動時に臼歯が接触するタイプの咬合では,咀嚼筋群の強大な筋活動が誘発され,結果として歯や歯周組織,顎関節に破壊的影響を及ぼす」のではなく,「咀嚼筋群の強大な筋活動が誘発され,それらの筋肉が異常に緊張しているタイプでは,ブラキシズム運動時に臼歯が接触するタイプの咬合となり,結果として,歯や歯周組織,顎関節などに破壊的影響を及ぼす」と考えたほうが自然だと思うのですが…….私がこのような表現に拘りたいのは,“医科と歯科を統合した健康医学としての咬合医学”という視点から咬合を考えているからです. 私も“医科と歯科を統合した健康医学としての咬合医学”を模索し始めたばかりですが,歯科だけの知識には限界があることを痛感させられました.今,カイロプラクティックや心理学の専門教育を受けた経験が活きています. |